大阪桐蔭vs明徳義塾
勝敗を分けた決断
「予選から、思いついたことが全部ハマってるんよ。打順とかピッチャー交代とか。そう思っていこうと思っていた。練習試合では監督の思う通りできても、甲子園ではできないからね」
3回戦の新潟明訓戦に勝った後、明徳義塾の馬淵史郎監督はそう言っていた。その試合では、0対0の4回表一死一、二塁という場面でライトを守っていた1年生の岸潤一郎をリリーフに送った。130キロ台後半の速球とスライダーに加え、度胸満点の岸だが、高知大会を通じて初登板。思い切った策だったが、ピンチを脱すると、9回まで5回3分の2を無安打投球。馬淵監督の期待に応えた。
新潟明訓戦は、横手から140キロ近い速球を投げ、ハマれば好投するが、制球難で自滅する恐れのある福永智之を先発で起用し、ルーキーの岸へつないだ。勝つ可能性の高い策を選択する馬淵采配には珍しいリスクの大きな継投だ。それについては、こう説明していた。
「甲子園まで来て(これまでのやり方を)変えたら……とか、いろいろ考えるんよ。でも、去年(2011年)、習志野(3対9で大敗)とやったとき、計算しないピッチャーが出てきた。(戸惑っている間に)先に点取られてやられた。それだったら、ウチも思い切ってやったろうと」
そして、迎えた大阪桐蔭との準決勝。
「相手は横綱」というセンバツ優勝校に対し、馬淵監督の選んだ策は横手投げの福永の先発だった。
「(右の上手投げの)まともなピッチャーではやられる。済々黌のピッチャーみたいな左か、サイドの方がなんとかしのげるだろうと」
福永が6月の練習試合で4イニングを無失点と好投していたこともあった。その自信もあり、福永は起用に応える。立ち上がりは四球をきっかけに犠飛で1点を失うが、2回から5回までの4イニングは1安打1四球で無失点の好投。5回まで0対1の接戦に持ち込んだ。
「イチゼロ(1対0)なら、こっちのペースと思った」
6回は一死から二番の大西友也に安打を許すが、三番の水本弦への投球が2ボールになると、すかさず伝令を送る。「ランナーを気にせず、バッターだけ打ち取れ」。開き直った福永はライトフライに打ち取り、二死にこぎつけた。
ところが、この後に落とし穴が待っていた。福永が四番の田端良基に死球を与えたのだ。
「田端はインコースが打てない。厳しく攻めるように言っていた。シングルヒットならいいと思っていたから、よし、よしという気持ちもあった」
一方で、真逆の考えもあった。一、二塁で左打者の安井洸貴。それまでの2打席はレフト前安打、四球と福永の球もよく見えている。代えどきか――。
「あそこは迷った。デッドボールを出した時点で100パーセント交代。決断が一瞬、鈍った」
なぜ、迷ったのか。それにはいくつか理由がある。
「ツーアウトだったから。それと、岸は(イニングの)頭から行かせたかった。あとは、福永が普段よりよすぎた。フォアボールやデッドボールを出しといて……というピッチャーが、案外スイスイ行ったからね。それで遅れた。(伝令を出した後)水本にヒットを打たれてたら代えとったかもしれない」
新潟明訓戦は岸を走者のいる場面で投入している。だが、今回は躊躇して動けなかった。こういう場合、たいてい結果は悪い方へ出る。カウント3―2からストレートを左中間二塁打されて二者が生還。0対3となり、ほぼ勝敗は決した。
「(考えが)甘かった。レフト前ならともかく、左中間に打たれたらお手上げよ」
安井に対して、カウント3―1になった。一塁があいていたわけではないが、あえて勝負を避ける考えもあった。次は右打者の笠松悠哉。福永の内角に切れ込むシュート回転の直球を打つのは難しい。だが、馬淵監督は即答した。
「それはできない。(制球のよくない福永は)押し出しがあるから。そんな余裕がない。(四球を出して)満塁になったら迷わず岸だったね」
バックホームに備え、外野を前に出していたことを問われたときは、強い口調でこう言った。
「1点勝負でそんなことを言ってたら野球はできん。後ろに守っとったって、あの打球は捕れんでしょ。1対0で負けるも、2対0も3対0で負けるのもいっしょ。まぁ、4対0と2対0じゃ(2対0の方が)格好はええけどね。あの展開でウチが4点取れるというのはない」
打たれたことに後悔はないのだ。それよりも、決断が鈍り、代えなかったことに悔いが残る。
「やっぱり、早め、早めに継投しないといかんね。継投は後手、後手にならず、結果が悪くても先手、先手でいかないと。岸でいって打たれたら、悔いがなかったと思う」
予選から思いついた通りに動いてきたが、最後にそれができなかった。それだけに、馬淵監督の表情や言葉からは、悔しさが伝わってきた。
誤算だったのは、攻撃陣。
5回二死まで無安打で、8回までわずか1安打。反撃の糸口がつかめなかった。
「高めは振るなと言ってたんだけど、197センチもあって(角度があり)ストライクに見えるんだろうね。ボールを振らなかったら速いだけのピッチャー。ボールを振ったら好投手になる」
2回一死から相手の失策で走者が出ると打者・杉原賢吾のところで初球、1-1からと二度エンドランをしかけたのが精一杯の抵抗。それ以外は、ほぼ何もできなかった。
「わざとエンドランをしかけた。(藤浪は)ランナー一塁だと気にする。失敗してもいいからしかけることでランナーを気にするようにすれば、制球を乱すだろうと。だからバントよりエンドランを使った」
杉原の初球は高めのボール球だった(ファウル)。馬淵監督はこの球をこう分析する。
「ストライクを取りに行って、偶然(身体が)突っ込んでボールが高めにいった。外したわけじゃない」
実は、前日、倉敷商に勝った後、馬淵監督は“口撃”をしかけていた。
「(藤浪の)クセはわかっている」
それについて試合前に報道陣から問われた藤浪は、「本当にクセがわかっていたら、そんなことは言わないと思います」と返していた。
試合後、馬淵監督にそのクセを尋ねると、「まだ勝ってるから、新聞に変なこと書かれるといかんからな」と前置きして、こうとだけ言った。
「クイックが苦手なんよ。それが、走れるランナーが出んのやから」
藤浪はクイックになると制球がバラつく。特にストレートが高めに抜けることが多い。スライダーでうまく調整できるため大きな問題になっていないが、馬淵監督はそのあたりを突きたかったのだろう。
「やっぱり、6回に打たれた時点で負けよ。ウチが勝つなら2対1しかない。(9回に二死二、三塁の好機を作ったが)イチゼロだったら、ああいう場面で結構ヒットが出るんよ」
思ったことをそのまま口に出す性格の馬淵監督。使えるコメントや面白い語録が豊富なため、実は報道陣から人気が高い。お立ち台では、取材時間ぎりぎりまで、他のどの監督よりも囲まれている。この日も、こんな話題で笑わせた。
「やっぱり、150キロ投げるピッチャーがおらんといかんのう。藤浪を見て岸が投げてるのを見たら、スローボールに見える。大阪桐蔭の選手もそうだろう」
「(スポーツ紙の戦力評価が)明徳はBばっかりやった。ベスト4でBはウチだけだろ? Bと言われとるようじゃ……(旗は獲れん)。Aダッシュぐらいにしといて(笑)」
「寺本(四郎、元ロッテ)のとき(98年)、優勝したとき(02年)と3回目やけど、ベスト4に来た中では一番弱い。貧乏人は三倍働かないと、という気持ちよ」
そんな話をした後、お立ち台でこう宣言した。
「あと2年待ってください。岸が3年になったらね」
星稜・松井秀喜を5敬遠して話題になった92年、初めて全国優勝した02年、そして4強入りした今年(12年)。10年周期で甲子園に話題を提供してきた明徳義塾。
果たして、2年後は――。
“10年周期”にあてはまらない14年にどんなチームになるのか。馬淵語録とともに、楽しみに待ちたい。
(文=田尻賢誉)