明徳義塾vs新潟明訓
好対照な投手の継投で撹乱した明徳義塾ベンチワークの冴え
初戦の県岐阜商戦、全力疾走の目安となる「打者走者の一塁到達4.3秒未満、二塁到達8.3秒未満、三塁到達12.3秒未満」を6人が8回クリアした新潟明訓が再び足でかき回す野球をするのではないかと期待したが、不発に終わった。走らなかったわけではない。一塁まで5秒以上かけて走る怠慢走塁は1人1回しかなく、相変わらず全員がよく走った。しかし、7回以降雨で足元が悪くなったこともあり、思うような走塁ができなかった。
対戦相手の明徳義塾は初戦の酒田南戦、全力疾走のタイムクリアが0人だった。
これは近年、四国勢に見られる大きな特徴で、「全力疾走」の意義を最初に掲げたのが高知の土佐高だけに残念な思いがしていた。しかしこの新潟明訓戦、全力疾走のタイムクリアは1人1回にとどまったが、ちんたら走るアンチ全力疾走は7回以降足元が悪かったにもかかわらず1人もいなかった。
この脚力は直接点に結びつくことはなかったが、相手の武器を自分のものとして立ち向かったときに生じるカウンター効果はあった。デンと構えて動かないチームが、ヒットを打ったときでも足を緩めずがんがん走ってくるのである。新潟明訓ナインが軽いショック状態に陥ったことは想像に難くない。
投手陣では明徳義塾が酒田南戦で完投したエース・福丈幸でなく、高知大会で2試合しか投げていない福永智之を先発のマウンドに送って驚かされた。福永は二番手に甘んじているが、昨年の夏にも甲子園のマウンドを経験し、140キロを超えるストレートの速さが注目されていた。
球が速いのはわかっていたが、これほどストレートを多投する投手とは思わなかった。私の記憶違いでなければ3回3分の1、打者16人に64球投げ、すべてストレートだったのではないか。大昔の野球ならともかく、打撃技術が進み、変化球の種類と用途が多様化した現代野球で、ストレートだけ64球も投げ、無失点で切り抜けた例を他に知らない。
昨年夏に見たときも横手気味だったが、スリークォーターと表現したほうが適切な投球フォームが、この試合では完全に横手になっていた。否、横手というより、下手(アンダーハンド)のほうが近いかもしれない。このフォームの変化が変化球を投げづらくしているのかとも思ったが、このストレートオンリーのピッチングは確実に新潟明訓打線を惑わせた。
2番手の1年、岸潤一郎(右投右打・175/70)は対照的に横変化のスライダー、小さく落ちるチェンジアップという逆方向の変化球を駆使し、新潟明訓打線をかく乱した。遅速の継投はプロ野球でも見られ、効果が見られるが、この場合はどう表現したらいいのだろう。ともかく、サイドハンドからのストレートに慣れた目が、スリークォーターの軌道に対応せざるを得なくなり、直曲球のコンビネーションにも対応しなければならなくなった。明徳義塾の勝利の要因を1つ挙げろと言われたら、私は迷わずこの継投策を挙げる。
新潟明訓でよかったのは先発、竹石智弥(右投左打・182/75)のピッチングである。県岐阜商戦でも思ったが、上原浩治(レンジャーズ)によく似ている。フォームが似ているということは、球筋も似ているということである。そして、“似せる才能”も無視できない。
この日計測した最速142キロのストレートは速くてキレがある。さらに体ごと押し込んでくるような猛烈な腕の振りに惑わされるのか、高めに抜けたボール球にも明徳義塾各打者は再三、手を出していた。ただし、唯一点を取られた5回は、このストレートの抜け球が致命傷になった。単純に3つの死球があり、四球が1つあった。
この抜け球の原因になっているのがステップ幅の狭さである。狭いと言っても極端な狭さではない。あと半足、広くできないか、というくらいの狭さである。狭いから上体主体になり、上体主体だからリリースが早くなる。リストで押さえ込もうと意識すれば低めに行くが、意識しなければ抜ける。これが5回は顕著だった。高目のボールをしっかり見極められ、ストライクを取りに行った直曲球を狙われ、4四死球に加え、3安打を連ねられ4点を失った。
7回表、2死走者なしのとき、甲子園上空で雷鳴が轟きわたった。そのうち雷光・雷鳴とともに猛烈な風雨に襲われ、私は経験したことのない2時間18分に及ぶ中断を経験することになる。
中断が明けて、肩が休まったのか、あるいは明徳義塾各打者の目が元に戻ったのか、竹石の高めストレートは再び威力を取り戻したが、時すでに遅く、新潟明訓は10年以来の準々決勝進出は手が届かないところに遠ざかっていた。
(文=小関順二)