南稜vs松山
三塁コーチャーと学生コーチと主将を兼ねる武井君(南稜)
指揮官が意識を変えて、結果がついてきた南稜がベスト8に進出
好投手という評判が高い埼玉松山の岡本君。それに対して、南稜打線がどのように立ち向かっていくのかが注目されたが、序盤から積極的に仕掛けていき、7回表の攻撃で一気に崩して南稜が快勝した。
南稜の遠山巧監督は、川口青陵から異動してきて5年目。新任校だった川口青陵時代には、ある程度は自分の思惑に近い形のチームを作ることができた。それだけに、南稜では、何らかの形で結果を残したいという気持ちが強かった。そんな指揮官の気持ちが、動(やや)もすると空回りしていくこともあった。その結果、力はあるのに勝ち上がれないという結果になってしまうもあった。
そんな中で試行錯誤しながら取り組んできた遠山監督は、結果にこだわることで、選手たちもどこか委縮してしまっているのではないかということに気付いた。
そこから吹っ切れて、むしろ選手たちの積極的な姿勢を導き出す方向にした。その一つとして、この新チームになってからは日替わり主将ということも試みてみた。
その結果として、公式戦ではあまり起用されることがないものの、武井君を主将とすることになった。
武井君は、三塁ベースコーチが主なポジションだが、試合前にはシートノックを担当、試合中は遠山監督に代わってサインを出すこともある。まさに、選手の自主性によって進められていくという、高校野球の理想の形を求めてトライしていると言ってもいい状況である。そして、それがここまで良い形で出ていると言えるだろう。
遠山監督も、「ボクがサインを出すと、(相手に)パターンを読まれてしまいますから、むしろこの方が良い。今日も、アウトはOKでどんどん走らせていきましたけれど、何度かアウトにもなった方が気づかれないでいいんじゃないですか」と、冗談交じりに語っていた。
大応援団(松山)
その南稜は3回、2死から三番竹原君が四球で出るとすかさず盗塁を決める。ここで、1年生で四番に入っている菅原君が右前打を放ち先制した。
投手起用に関しても思い切りがよく、4回まで好投していた佐野君をスパッと代えて、5回からは右下手投げで緩い変化球が武器の高瀬君を送りこんだ。その代わり端に、安打と四死球で、1死満塁のピンチを作ってしまうが、ここでも慌てることなく併殺を取った。6回にも、無死で安打されながら、その後を併殺で切って取って、ピンチの芽を摘み取った。こうした、粘りの投球が次の回の味方の攻撃を導いた。
7回表、いくらか疲れが見えてきた埼玉松山の岡本君から、この回先頭の五番富士登君が左中間に三塁打を放つ。1死後、中田君のスクイズが野選となり、勝ち越し点が入る。なおも1死一塁から、四球とバント安打などもあって満塁とすると、一番北出君が右犠飛を放って追加点。
その後も、一、三塁という場面で、ディレード気味のダブルスチールを仕掛けてまんまと成功。二番上農君が右前適時打を放ちこの回4点を奪って、完全に流れを引き寄せた。
埼玉松山は、大会ごとに大応援団を繰り出して、見事な応援をすることでも知られている。この日も、ブラスバンドが入って、応援リーダーもしっかりと統制のとれたスタイルを重視して、メリハリの利いた応援を展開していた。
まるで、夏の大会のような大応援団だったが、南稜はそれに圧倒されることがなかった。遠山監督も「こんな応援の下で試合ができるなんていうことは、そんなにあるものではないから、自分たちの応援だと思って楽しみなさい」と、選手たちには伝えていた。そして、埼玉松山の東京六大学の応援マーチメドレーには、自身が早稲田大の出身だけに、「何だか、懐かしかったですね」と笑っていた。
大応援団の後押しも届かなかった埼玉松山。岡本投手の前評判も高かっただけに、瀧島達也監督は、今年のチームにはいけるという感触を得ていたのではないだろうか。
瀧島監督が指揮を執っていた1998年夏の滑川(現滑川総合)以来、埼玉県では公立校の甲子園出場がない。その壁を破りたいという気持ちは強いだろうが、岡本君とともに、夏まで持っていって爆発させたいという、そんな思いのようでもある。
(文=手束仁)