松山商vs今治工
松山商業先発・越智洸貴(3年)
今治工業・村上満雄監督、悔いなき監督業勇退
媛県立今治工業高等学校野球部~決して素材に恵まれない中、攻守交替だけでなく三振時や凡打時、さらにボールボーイまでが全力疾走を怠らないスピードと無尽蔵のスタミナをベースに、09年夏のベスト4、昨夏のベスト8をはじめ、この数年でめきめきと頭角を表してきている新鋭校だ。さらに、この春も今治工の勢いは止まらず。東予地区予選代表決定戦では過去6年間、春夏いずれかで甲子園に出場している今治西を5対3で下す大殊勲を成し遂げ、晴れて東予6、中予4、南予4、計16チームが集う県大会へと駒を進めてきた。
そんな「今治工業スタイル」の礎を築いたのが同校就任5年目を迎えた村上満雄監督である。松山商では「入学後一度は硬式野球部に入ったが、根性無しだったので夏を前に辞めて軟式野球部に転部した」異色の高校野球暦を持つ指揮官。早稲田大に進学後も4年次の教育実習で高校野球を指導したいと思い立ち、就職浪人をしてまで愛媛県の教員採用試験に合格した変った経歴を持つ村上監督は、26歳で小田の監督に就任以来、松山西、松山南、西条農、東温で監督歴を積んできた。
そして歴戦の将にもついに定年の時が。よって村上監督は今大会で今治工での、そして高校野球の監督人生もピリオドを打つことになったのである。
ただしこの日、母校相手にあっても全く気負いなく、長年の指導経験で見出した「ワンパターンのことを教えることと、シンプルな教え方の方がいい」持論を貫き、試合中に円陣を組んでの指示は一切なし。その一方で松山商打線の打球方向を予測して守備位置を極端に寄せる場面も見せるなど、「今治工さんはツボをしっかり抑えている。あれも1つの野球」と松山商・重澤和史監督も感心する策士ぶりも存分に見せつけた。
今大会をもって定年のため勇退する今治工業・村上満雄監督
それでも松山商の実力差は埋めきれなかった。打線は「できすぎ。カーブでカウントが取れたので真っ直ぐも活きた」相手先発左腕・越智洸貴(3年)を攻略できず。重さで勝負する右腕・伊藤銀次(3年)から、6回途中に変則左腕・眞鍋元太に目先を変え、対抗の姿勢を崩さなかった投手陣も2回表に6番・倉田修和(一塁手・3年)のスクイズ、7回表には練習試合では絶不調だった8番・山﨑翔太(三塁手・3年)に適時二塁打を放たれ、今治工は2点のビハインドを背負うことになった。
しかし、村上監督の教えを体現するべく選手たちは得意の終盤に反撃に出た。8回裏には7回から遊撃手から投手に回った堀田晃(3年)から、3番・原大貴(中堅手・2年)が目の覚めるような左越適時三塁打で1点を返し、9回も1死二塁の同点機を演出。
最後は1点届かず涙を呑んだ彼らだったが、村上監督が「昨日のミーティングでは『今治市の代表として恥ずかしくない試合をしよう』と話をしたんですが、いい試合だったと思います。夏に向かってがんばってほしい」と評価する内容は十分示したのである。
「高校時代の挫折がなかったら教員への勉強もしなかったでしょう。これまで好きなことをしてみんなに迷惑をかけてきたので、特に家族には感謝したいですね。このスタイルは僕がいなくなっても子どもたちが引き継いでくれると思うし、社会人になって活かしてくれればと思います。そして夏はスタンドから今治工を応援します。今度は松山商をもっと研究して、ね」。
悔いなき監督業を振り返った後、最後に茶目っ気な笑顔を報道陣に見せた村上監督。その瞬間、指揮官の顔は確かに昔の「野球少年」に戻っていた・・・。
(文=寺下友徳)