今治西vs今治北
5回表今治北・先制アーチに笑顔の越智(1年)
今治西、背番号二桁の「底力」で大逆転勝ち!
お互いを知り尽くした今治市内のライバル今治北。
かつチームを率いるのは1991年夏には川之江で甲子園出場、2006年春にも同校を甲子園初出場に導いた木村匠監督。
夏春連続甲子園へのスタートには難敵すぎる対戦相手を迎えた今治西は「僕自身も含めて固かったです」と大野康哉監督も告白したように、全てがぎこちなかった。
打線は球もちのよい今治北先発・白石拓也(3年)に対し高めボール球の見極めがうまくいかず、7回まで散発2安打。
先の甲子園で1回3分の1を投じた経験値を活かし、4回までほぼ完璧に相手打線を封じていた左腕・中西雄大(1年)も5回表・越智康匡(1年)に痛恨の一発を浴びてしまう。
さらに中西は続く6回にも1死1・2塁のピンチを背負い降板。
「今回のスタメンは守れる選手を中心にセレクトした」(大野監督)とはいえど投打に全く主導権を握れない展開は、甲子園初戦敗退直後の新人戦1回戦・西条戦で喫した0対9・7回コールド負けの再来すらも想起させるものであった。
見事な火消しを演じた石垣淳行(今治西)
ただ、過去5年間で4度のセンバツ出場が物語るように、真に勝負がかかった場面で踏ん張れるのが今治西の今治西たるゆえん。そのお膳立てをしたのはいわゆる「背番号二桁」の選手たちだ。
先陣を切ったのは背番号「10」、「直前の練習試合でもよかったので、自信を持ってマウンドに送り出した」(大野監督)右腕・石垣淳行(1年)である。この回に2死満塁を切り抜けると、続く7回もヤングリーグ「BB凌駕」時代にマスターした魔球「ナックルフォーク」を要所で使い無失点と、公式戦デビュー戦で中内洸太(2年)へバトンを渡す見事なセットアッパー役を務め上げた。
今治西「背番号二桁」の躍動はマウンドだけでない。迎えた8回裏・今治西は先頭の代打「13」の東福拓朗(2年)が2塁打を放つと、東福の代走「18」の松田恭平(2年)が好走塁で相手野選を誘発。これに刺激を受けた1番・池内将哉(3年)がキャプテンの責任を果たす逆転2塁打を放つと、彼らは気落ちした今治北のスキを見逃すことなく打者12人を送り込み、5安打4四死球にエラーも絡めて8得点。敗色濃厚から一気にコールド勝ちを果たしてしまったのである。
「今年のチームは正直うまくはない。でもどんな場面でもみんな一生懸命やってくれます。そこが逆転にもつながったと思います」と試合後に新チームのカラーを語った大野監督。となれば、この日の1勝は単なる1勝ではなく、培われた「伝統」に「底力」を加える格好の契機となりそうだ。
(文=寺下友徳)