帝京vs花巻東
“たられば”はないけれど
空気が変わった。
9回裏、1死一塁。代走の佐々木泉が盗塁を決めた瞬間、甲子園は劇場になった。
一塁側の花巻東アルプススタンドからライト外野席へ。一塁側内野席へ。そしてネット裏へ。拍手と声援はどんどん広がった。
岩手県内では“逆転の花東”といわれる花巻東。
同点、そして逆転へ――。
誰もがドラマを期待した瞬間、無情の宣告が待っていた。
打者・佐々木隆貴が捕手の二塁送球を妨害したとして、主審は守備妨害と判定。二塁に達していた佐々木泉は一塁へ戻され、佐々木隆はアウト。2死一塁になるとともに、沸点に達しかけたスタンドのボルテージも下がってしまった。最後の望みを託した太田知将がセカンドゴロに倒れて万事休す。岩手の夏が終わった。
実力の世界。それはわかっている。
だが、どうしても感情的にならざるをえないのが、あの場面の判定だ。
外角の球にサイン通りセーフティバントの構えをした佐々木隆は、確かに打席から前に踏み出していた。その行為だけを見れば、妨害ととられてもしかたがないかもしれない。
ただ、この場面だけは、目の前のその現象だけで杓子定規に妨害と決めつけてほしくなかった。
なぜなら、このときの捕手・石川亮は最高の二塁送球をしているからだ。
東東京大会の3回戦、決勝、そしてこの試合と、合計10度石川のイニング間の送球タイムを計測したが、最高タイムは1度だけ記録した2秒10。残りは全て2秒30台だった。だが、このときの盗塁時の送球タイムは計測最高値に近い2秒17。練習ではなく、実戦でこれだけのタイムを記録できたということは、石川はベストパフォーマンスに近い送球ができたということ。送球を邪魔されていないともいえる。
そしてもうひとつ、それ以上に素晴らしかったのが佐々木泉。
三塁コーチャーから代走に呼ばれ、初球で盗塁を試みた。9回1死。自分がアウトになれば走者なしであと一人となり、失敗のリスクを考えれば躊躇してしまうところだ。
この場面で盗塁のサインを出せる監督は全国でも限られるし、サインが出たとして走れる選手も限られる。それぐらいアウトが怖い場面。
それを佐々木泉は恐れなかった。積極果敢、勇気を持って初球からスタートした。
「自分がチャンスを作るしかないと。あの場面で代走に使ってくれたことへの責任感と使命感で走りました」(佐々木泉)
しびれる場面で、なぜ思い切っていけるのか。しかも、佐々木泉は岩手大会から通じて、この夏、初出場の選手だ。初めて試合に出て、最初の1球で走ったことになる。
そこまで思い切ったことができるのは、ちゃんと理由がある。佐々木泉はこの試合で、三塁コーチャーに入る前に一塁コーチャーを務めていた。そこで準備をしていたのだ。
「セットのときのグラブの位置にクセが出ていました。高い位置で止まったまま足が上がったらけん制。下に下がったらホームです。ノーサインでしたが、けん制がないとわかったので走りました」(佐々木泉)
背番号16をつけた控えの選手がこういう準備をしっかりとして、1球でその成果を発揮する。このプレーがどれだけ精度が高く、勇気がいることか。その最高の走塁が判定で消えてしまったのが残念でならない。
走者も、捕手も最高のプレーをした。
その結果としての1死二塁。そのあとの結果は神のみぞ知る――。最後の場面は、そんなドラマを見てみたかった。
このプレーを見ていたプロのスカウトはこんな感想を口にした。
「今日一番メインの試合で、あの場面で何であんな判定をするのか」
「あれは最初から狙っていたね。ちょっとでも打者が前に動いたら(妨害を)取ろうというふうに見えた」
この試合を観ていた今大会出場校のある監督はこう言った。
「あれは(妨害を)取って正解。あれで妨害にならなかったら野球にならない」
この試合や両校への想い、立場で当然、感想は変わってくる。あの大声援に左右されず、素晴らしい判定と称える声もあって当然だ。だが、個人的にはやはり土壇場で水を差された感は否めない。
試合後、引きあげてきた控え室でしばらく泣き崩れた佐々木隆は泣きながらこう言った。
「邪魔したわけではないんですが、審判さんに邪魔したと判定されてしまったのでしかたないです。自分のプレーで流れを切ってしまいました」
あの判定をされてもなお“審判さん”と言える。そういう選手の精一杯のプレーだったのだ。
「ああいう場面で妨害を取られてチャンスをなくしてしまうのを県大会でも何度も見ているので、ウチはそういうのをしないようにしようといつも言っています」(松田優作コーチ)
だからこそ、残念でならない。
もちろん、このプレーと判定だけで試合が決まったわけではない。花巻東は5失策。走塁妨害もバッテリーエラーもあった。
小原大樹、大谷翔平の2投手で合計12四死球を与えるなど、無駄な走者や余計な失点が多すぎた。敗因はむしろこちらの方だろう。
だが、一方で、岩手大会では眠っていた打線が甲子園で火を噴いた。4回途中で伊藤拓郎をKOするなど12安打7得点。左打者が三塁側の帝京ベンチへ打ち込もうかというファールがあるなど徹底した逆方向意識の打撃で攻めたてた。1年生捕手を突いて4盗塁も決めた。離されても、離されても追いつく粘り強さからは、「甲子園で勝つ」「日本一になる」という気持ちが表れていた。
東日本大震災による津波の被害が大きかった大槌町出身の佐々木隆は祖父母が行方不明のまま。釜石市出身の控え投手・佐々木毅も祖父が見つかっていない。家を流されたのは佐々木隆ら6人いる。大会前には2年前のセンバツ準優勝、夏4強の立役者である佐藤涼平さんが自ら命を絶つという悲報もあった。
愛する岩手のために勝利を――。
佐々木洋監督は予選のときからずっとこう言い続けていた。特別な想いを胸に甲子園に臨んでいた。
「悔しい、それだけです。多くの命を亡くした郷土のために勝ちたかった」
そういって涙を流した36歳の指揮官。
そんな佐々木監督の想い、選手たちの姿勢はスタンドに伝わっていた。少なくとも、あの場面での粘り、勇気、思い切りは確実に甲子園の空気を動かした。
だからこそ……。
なおさら、あの雰囲気、空間で起こる次のプレーを見てみたかった。
(文=田尻賢誉)