熊本工vs九州学院
オレンジ色の勲章
この日の[stadium]藤崎台県営野球場[/stadium]の駐車場は、早朝の6時台だというのにすでに満車になろうとしていた。
日曜日に行われる準決勝。しかも、第一試合が8:30プレイボールということで朝から混雑することは予想していたが、こんな早朝からまさかといえるような大勢の観客。一度球場入りした筆者が、忘れ物を取りに車に戻ろうとすると7時を過ぎたばかりだというのに駐車場に入りきれない車が渋滞し、長蛇の列を作っていたほどだ。それだけに熊本工vs九州学院という伝統の一戦は、ファンの期待も大きいのだろう。
中でも個人的に注目したのが、九州学院・山下翼、熊本工・江崎信仁という二人のスピードスターの共演である。
50メートル走、5秒68の山下、同じく5秒85の江崎、そのタイムをみてもわかるように二人の足の速さは、全国の中でも群を抜いている。
しかも、そのスピードだけではないそれぞれの持ち味が凄みとなって、魂の深いところを揺さぶらせてくれる。
スプリンターのようなランニングスタイルに直角に曲がるようなベースランニングなど高度な技術も兼備する山下に対して、江崎は4回戦(千原台戦)の6回の場面で、野手の一瞬の動きを見抜く洞察力でセーフティーを決めるなど、鋭い嗅覚と泥臭さを兼備する勝負根性を持つ。
ある日、筆者は九州学院グラウンドで、山下と全国の高校生で誰の足が速いかという話をしたことがある。
「そうですね。横浜の乙坂、履正社の海部・・・とかですかね」(山下)
甲子園でもお馴染みの選手が上がったので、今度はこう言ってみた。
「熊工の江崎も50m5秒8やし、速いよね」(筆者)
すると山下は、少し力を込めてこう言い返してくれた。
「マジですか。江崎ですか。昔からよく知ってますけど。今度あいつに会ったらこういってくださいよ。5秒8じゃないだろって」(あくまで冗談での話である)
それから数ヶ月後の今夏、九州学院が準決勝進出を決めた後、山下に江崎との対決について話をもちかけるとこういった。
「江崎ですか。あいつには“絶対”負けたくないですよ」
江崎の話になると山下は目の色を変えて“絶対”という部分に力を込めたほどである。
その江崎はというと「(山下は)前の試合(文徳戦)で3ランを打っているし、走力や打力でも向こう(山下)が上だと思います。自分のことはライバルとは思ってないじゃないですか」と少し控えめに応えた。
そういいながらも二人はよきライバルであり、同じ天草地区出身で小学生のことから顔見知り。中学時代には、山下が河浦中学のエース、江崎が稜南中学のエースとして、しのぎを削ってきた間柄だ。しかも高校では、山下が3番、江崎が1番と打順こそ違うが、同じセンターというポジションでもある。
試合は、江崎が山下のところへ打球を飛ばすところから始まった。1回表、先頭の江崎が初球を果敢に攻め、打球はいきなりセンター山下のところへ飛んでいった。結果は平凡なセンターフライであったが、まるで挑戦状をたたきつけるかのようにみえた。
そして、まず先に足で魅せたのは山下だった。1回裏、三ゴロの併殺崩れで出塁すると、熊本工のエース松木健は2球けん制を入れた。そして打者に1球投げて、もう1球けん制とバッテリーは厳重警戒していたが、すかさず山下は走った。強肩捕手・城孝彰の正確で素早い送球もセーフだ。さすが、としかいいようがない山下の盗塁先制攻撃である。
その後、試合は沈着状態が続いたが、江崎のビッグプレーが熊本工に追い風を吹かせることになる。
5回の九州学院の攻撃、この回先頭の8番・太田晃平が放った猛打球が右中間の一番深いところへと飛んでいった。打った瞬間、抜けたかと思った観客も多いことだろう。しかし、センターの江崎が斜め後方へ走る、走る、走る。あっという間にフェンスぎりぎりのところまで到達し、そこで跳び込んだ江崎は、なんとキャッチしたのだ。
かつては日本一広い野球場と呼ばれていたこともあった[stadium]藤崎台県営野球場[/stadium]の右中間最深部、しかも左利きの江崎にとって難しい左斜め後方(江崎から見て)への猛打球であった。
グラウンド外野部分のフェンス際だけには、内野の黒土とは違うオレンジ色の土が敷かれており、江崎のユニフォームは、跳び込んだ勢いでボタンがちぎれ、体中がオレンジ色の土で汚れていた。それは、かつて藤崎台でみたことのないような光景であり、オレンジ色の土で汚れた江崎のユニフォームは、まるで勲章のようにもみえた。
「九学さんは、いつも外野オーバーするんで後ろは警戒していました。打球が切れていって一瞬、間に合うかなって思ったんですけど、ほんと死ぬ気で捕りました。グラブからボールが半分出ていたくらいでしたからね。それでも握りしめましたよ」
これで勢いがついたのか。熊本工は、7回に8番・山田晃大の適時二塁打などで一気に3点を奪い、投げてはエース左腕・松木が、強打の九州学院を5安打完封し、伝統の一戦を熊本工が制した。
試合終了の挨拶で、江崎と山下は抱き合った。
「絶対に甲子園にいけよ」
そういった山下の胸にもほのかにオレンジ色の勲章がついた。
(文=編集部:アストロ)