姫路飾西vs関西学院
届かなかったあと1点
9回裏、最終回の攻撃。3対4と1点ビハインドの展開で訪れた、二死・満塁と願ってもないチャンスが訪れた。
そして打席には、関西学院のキャプテンの上田裕貴はネクストバッターサークルからゆっくりと向かった。
「最初から苦しいゲームでなかなかチャンスがなかったけれど、みんなが最後に自分に回してくれた。こういう場面はとにかく強い気持ちを持たないと。何とか自分が決めたかったんですが…」。
ここまで、3度のチャンスにもすべて凡退していた。だからこそ自分が決めたいという思いは強かった。もう後がない。自分が決めないと高校野球が終わってしまう。そう思うとバットを握る手にも力がこもった。
そして4球目の球に体が反応したが、打球は力なくセンターに上がった。白球が相手の中堅手のグローブに収まると、姫路飾西ナインはまるで優勝したかのようにマウンド付近で狂喜乱舞していた。
「終わったんやな…」。静かに整列に加わった上田は、戦いの終わりを静かに受け入れるしかなかった。
3回戦(初戦)の尼崎産戦も苦しいゲームだった。終盤まで5-7とリードされながら、8回裏に6点を奪い大逆転勝利。だが、薄氷の勝利に「投手陣の調子があまり上がってこなくて…。今日も何とか踏ん張ってもらいたかったのですが…」と、試合後、広岡正信監督はため息をついた。
この日も先発した背番号18の神谷朋宙のピッチングが、どうもピリッとしなかった。2回には2個の四死球とヒットで走者を溜め、味方の失策で2点を与えてしまった。3回からはエースの切原俊を投入。だが、その切原も流れを変えることが出来ず、5回には長打を浴びて追加点を許してしまう。「本来のリズムで投げられなかったことは事実」と、広岡監督も投手陣の不安を拭えなかったことを認めた。
だからこそ、打撃陣の本領発揮といきたいところだったが、姫路飾西の投手陣にかわされ続けた。そして9回。大きな流れが関学に押し寄せてきた。最初で最後かも知れないチャンスだったが、ものにすることはできなかった。
2年前、チームは70年ぶりの夏の甲子園出場を果たし、スタンドから甲子園を体感した上田。関西学院は西宮市に学校があるが、激戦地からはなかなか掴めない聖地への切符。甲子園は近くて遠い存在だ。以降、県内では苦杯を舐めてきたが、昨秋から部員が140人を超えるチームをまとめる役目を担ってきた。
「うちは多い部員でも、全員が練習に参加してくるわけではないんです。どうやって参加してもらえるのか、色々悩んだこともありましたが、それでも支えてくれる仲間がいたので、ここまでやってこられたんです」。2年前には同じ関学で兄・浩之さん(現関学大)が副キャプテンとして夏4強に進出。兄の背中を追いつつも、チーム事情を気にしながら練習に取り組んできた。
守備のミスからリズムを崩し、流れを手繰り寄せられなかった場面もあった。「いつもエラーをしないヤツが悪送球をしたので、チーム全体に動揺があったのかもしれない。切り替えていたつもりだったのですが…」(上田)。チャンスで凡退しても、センターから仲間を見守り続け、声を掛けてきたキャプテン。2年ぶりの大舞台は成し得られなかったが、キャプテンとしての姿勢は最後まで忘れなかった。
(文=沢井史)