東海大相模vs武相
北見(武相)
同級生監督同士、現役時代以来の対決は再び東海大相模
母校の監督というのは、高校野球の指導者としてはやはり一つの目標でもあり夢でもあろうが、それが甲子園実績のある強豪校であれば、やり甲斐もあるだろうし背負う責任も重い。東海大相模・門馬敬治監督、武相・桑元孝雄監督はそんな立場だ。しかも、二人は同級生で両校の夏の大会での対戦は彼らが現役時代の1987年以来という奇妙な因縁だ。
ちなみに、その時は三番セカンド門馬の東海大相模が、四番サード桑元の
武相
を11―4で下している。
門馬監督は98年秋に就任し、今年で12年目となるが、その間春の甲子園には4度出場し、2000年には全国制覇も果たしている。そういう意味では母校の伝統に箔も付けているともいえる。これに対して桑元監督は、近年やや低迷する武相の切り札として昨年春に就任して、今春はベスト16に導きシード権を獲得。そして、この夏は春に4回戦で敗退した相手の光明相模原を下すなどして14年ぶりの4強にたどり着いた。準々決勝ではそのことを素直に喜んでいた。それだけ、母校への思いも強いのだろう。
そんな二人の思いにも注目した試合だったが、内容的にはお互いに失策絡みのビッグイニングがあり、やや大味な印象を残したことは否めなかった。結果的には、昨秋の関東大会を制し、今春のセンバツにも出場して戦力的には1枚上回ると思われた東海大相模が、いくらか力ずくという感じで抑え込んだ形になった。
それでも、それぞれに見どころはあった。ことに、そのまま行けば7回でコールドゲームになってしまうだろうという局面で迎えた
武相
の6回、積極的に初球を叩いて、ここまで踏ん張ってきた東海大相模の江川投手を攻略。
武相
打線の気迫が、相手内野陣の失策を誘発したともいえる見事なものだった。特に、1死満塁で5点目となった犠飛を打ち上げた代打嵯峨君の打球はあわや同点のグランドスラムという当たりだった。上空で舞っていた強い風に戻されたのが不運だった。
7回からリリーフした、注目のエース一二三(ひふみ)に対しても7回、8回と先頭打者を出すなどして食い下がった。
こうした武相の諦めない姿勢に勝った門馬監督も、「ウチの方が単調で、相手の集中力と積極性は学ばせて貰いました。これをプラスアルファとして、明日の決勝を戦いたいと思います」と、脱帽した。東海大相模も夏の甲子園には、1977年以来遠ざかっている。
武相
の思いも背負って決勝戦に挑む気持ちだ。
敗れた桑元監督は、「選手たちはよく食らいついていってくれました。泣いている選手はどこかに悔いがあったのかもしれません。だけど、3年生たちが1、2年生に、『この悔しさを忘れるな』と声をかけているのを見て、次へつながっていかれるという感触を得ました」と、この日詰め掛けた多くのOBや関係者たちが願っている“強い
武相
”の復活に確かな手ごたえは感じているようだ。伝統を蘇らせるというのはこういうことなのだということを、今、新生
武相
となった桑元監督は、一つひとつ経験しながら具体的にしていっているともいえるのではないだろうか。
今年の
武相
の夏は終わったが、確かな復活への足取りは、戦国神奈川にさらに拍車がかかりそうな状況を示している。
(文=手束 仁)
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東海大相模 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 12 | ||||||
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武相 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 7 |
東海大相模:江川、一二三―大城卓 武相:北見、小川―池沢