環太平洋大・野村昭彦監督が退任。常に大事にしてきたのは「最善の準備」
明治神宮大会準優勝の環太平洋大の野村昭彦監督が退任を発表した。2010年に明治神宮大会に初出場した環太平洋大が、全国でも実績を残すようになったのは2013年に野村監督が就任してからだ。2015年から2年連続で神宮大会ベスト8、昨年の明治神宮大会ではベスト4、そして今年は準優勝と、しっかりとステップアップし、中国の大学野球のレベルを押し上げた功労者であった。野村監督の野球は、突出とした能力を持った選手がいなくても、緻密な駆け引きによって相手を打ち克つ野球。また無名の逸材をスカウティングし、しっかりと主力選手に育て上げる育成力と、高校野球を取材しているものからすれば、参考になる点が多々あった。
その中で野村監督が何度も選手たちに説いてきたのが準備の大切だ。神宮大会期間中、優勝を果たした立正大を一番マークし、対戦が予想される相手についてはスタッフと手分けをしながら、分析を行い、試合に臨んでいた。
また、選手はベストパフォーマンスを発揮するには、投手であれば、いつでも力を発揮できるよう、ブルペンでの準備、野手であれば、代打で結果を残す為に、配球の傾向を掴むなどを行ってきた。そして野村監督はしっかりとチャンスを与えた。
「やはりチャンスを与えないと、選手たちは我々が伝えることに対し、しっかりと耳を傾けないし、準備も疎かになる。しっかりと準備が出来ている選手に対してはチャンスを与えてきました」
結果として神宮大会4試合はすべて継投、さらに準決勝の近畿大戦では代打攻勢でコールド勝ちを収め、全員野球を実践した。その中で、代打として活躍した熊倉巽(4年・浦和学院)は四国・BCリーグの合同トライアウトを受験し、ドラフト指名選手対象となった。
大会期間中、こんなことがあった。法政大戦前に、選手がバス集合時間に遅れたことがあった。そのことに対し、野村監督は叱った。
「あなたたちは野球で生活できる選手はほとんどいないでしょう。先がずっと長いんですよ。時間が守れない人間が社会人としてやっていくことができますか?」
すると、翌日のバスの集合時間前には30分前に野村監督が到着すると、すでに選手全員がいた。「さすがに30分前は早過ぎですが(笑)でもその心意気がうれしいですよね」と目を細めながらそのエピソードを離していた。
環太平洋大の野球を見ると戦術巧みに見えるが、ミーティングの内容は野球の話がほとんどなく、野球以外の話を行い、人間教育に努めてきたという。
そして立正大戦後、すぐに選手を集めてミーティングしている姿も印象的であった。今回の退任は残念だが、再びフィールドに立つことができれば、引く手あまたの指導者であることは間違いない。また、どこかのカテゴリーで手腕を発揮することを期待したい。