復興の原動力(大会総括)
第83回選抜大会総括2011年04月08日
復興の原動力
センバツ開会式
開幕のわずか12日前に発生した東日本大震災によって、この国の日常は破壊された。
当たり前の場所に、当たり前のように存在した日々は失われ、地震発生から1ヵ月が経とうとしている現在、死者・行方不明者は2万7000人超にまで達している。
今大会で準優勝した九州国際大付・若生正広監督は、宮城県仙台市出身。地元に残している家族の安全は確認されていたものの、決勝を翌日に控えた宿舎における若生監督の心中は決して穏やかなものではなかった。
「亡くなった教え子がね、ようやく秋田で火葬されたそうなんだ。土葬ではなく、無事に火葬されたと聞いてホッとしたよ」。
被災地や被災地出身の方々は、今もこうした非現実的な絶望と安堵を繰り返し味わっているのである。
これまで貧困や災害に苦しむ多くの国々を援助する側だった日本が、この1ヵ月間で世界第2位の援助を受ける側に回ったという。
飢餓に苦しむケニアでは、何より貴重な食料であるはずの豆を小さな袋に詰め「どうか日本へ届けてください」と、現地の日本人に手渡そうとした人がいたそうだ。
それだけの非現実的な状況の中で行なわれたのが、今年の第83回センバツだった。
左腕には喪章が付けられた。
果たして今、野球をするべきなのか。
開催可否がなかなか決しない中で、賛否の両論が渦巻く。個人的には中止も止む無しと捉えていた。震災から開幕までが12日しかないこと、被災地から出場するチームの精神的負担、そして被災地の現状を踏まえた現地の住民感情などを量れば量るほど、とても“野球どころではない”のではないかと考えた。
3月18日になり、開催は正式決定された。これを受けて翌19日に、東北ナインが宮城県を出発。彼らが給水のボランティア活動を続けていた避難所を出発する際、戸惑いの表情を浮かべる上村健人主将をはじめとするナインを、被災者の方々は力強いエールで送り出している。中には「頑張れよ」と、笑顔を見せる人も。
直後からネット上や新聞投稿などで、センバツ開催を歓迎する声が目立ち始めている。
創志学園・野山慎介主将の「生かされている命に感謝し、全力でプレーする」という感動的な選手宣誓によって、震災後最大級のスポーツイベントが開幕した。
東北高校ナイン
そして、ただでさえ感情の露出を制限された思春期の子供たちが、口を真一文字に結んで感情を抑制している姿も目についた。センターから逆方向への強く低い打球の徹底、アグレッシブな走塁、危険要素をひとつひとつ丁寧に潰していく守備で群を抜き、結果的に昨夏準優勝の悔しさを最高の形で晴らした東海大相模。ナインは優勝決定後の歓喜を抑え、噛み締めるような表情で栄光の校歌を斉唱していた姿が忘れられない。
そして「開催を許してくれた被災地の方々に感謝します」という佐藤大貢主将の優勝インタビューで、第83回の歴史においても特に大きな意味を持ったセンバツは幕を閉じたのである。
創志学園・野山主将
すべてが終わって、開催は正解だったと思えた。
いつの時代でも、子供のひたむきな姿こそが国の活力源となるのだ。そのパワーを日本最大級の出力で生み出す場所が甲子園。やはりこの国の人々にとって、野球の聖地とは特別な場所なのだと、あらためて思い知らされた気がしている。
初戦で敗退した東北を避難所で応援していた被災者の多くが「ありがとう」と言って涙を流した。絶望に瀕しているはずの人々に元気を与える。高校球児が発する力は、それほどまでに大きかったのだ。
今回の“難しい”センバツを戦った彼らは、震災を経験し、さらに今後この国が復興していく為の原動力となるべき宿命を背負った。大人が下を向いている場合ではないのである。そうした中で、我々が甲子園で触れ合った多くの選手たちに大きな希望を見出せたことを、全国の高校野球ファンには是非とも伝えておかねばならない。
「こいつらとなら大丈夫。この国はきっと蘇る」
センバツが終了したからといって、全て良しではない。夏に向けてはさらに大きな困難が次々と立ち塞がるはずである。
ただ、我々高校野球に携わるすべての人間は、創志学園・野山主将が打ち立てた日本復興への誓いをスローガンに、前進を続けるしかないのだ。
「仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができる」
(文=加来 慶祐 )