健大高崎vs報徳学園のセンバツ決勝戦は指導者分業制の先端を行くチーム同士の対戦だ!【主筆・河嶋宗一コラム『グラカンvol.13』】
健大高崎・青柳博文監督と赤堀 佳敬コーチ※写真は2021年取材時のもの
皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋です!
今年のセンバツは、健大高崎の初優勝で幕を閉じました。決勝で対戦した両校は、取材でもお邪魔したことのある学校。感慨深いものがありました。じつは、この2校が共通している点があります。それは、「指導者が分業しながら、チーム作りをしているところ」です。
かつての高校野球は練習メニュー、選手への指導、生活指導など監督が全権を握る体制がほとんどだったといいます。その方針からいち早く脱したのが優勝した健大高崎でした。
健大高崎の青柳監督はサラリーマン経験を活かし、コーチに任せるスタイルに
健大高崎は2011年夏に甲子園初出場を果たしました。当時のチームは「機動破壊」を掲げ、機動力をウリとするスタイル。きっかけは2010年夏に140キロ台の投手を複数揃え、ホームランも打てる打者を揃えながらも夏の群馬大会に敗れたこと。甲子園に行くために、走塁を徹底強化することになりました。
「日本一走塁意識の高いチームに」するために、健大高崎の挑戦が始まりました。その走塁技術、戦術を叩き込んでいたのは、青柳 博文監督ではなく、葛原 毅コーチでした。他のチームにはない高度な走塁、戦術で相手を翻弄し、2012年にはセンバツベスト4、2014年夏の甲子園でもベスト8。甲子園に出場すれば、上位進出をはたせるようになります。当時から青柳監督は多くの指導スタッフを揃え、専門分野をコーチたちに任せる方針でした。
「コーチがたくさんいて、今は5人いますが、自分が全部やるのではなく、色んな意見を聞きながら、自分の持ち場をしっかりやる。会社のような運営をやっています。自分は部長みたいな役割ですね」(青柳監督)
青柳監督は東北福祉大卒業後、10年間のサラリーマン経験があります。それが今の組織運営に生かされていると語ります。
「色んな会社にいたのですが、良いものを仕入れて、良いものを生産する。適材適所の人材配置を行う。これは野球部にもつながるなと思い、健大高崎の教員になったあと、学校にお願いして、コーチを増やしてもらいました」
現在の指導者陣の役割についても語ってもらいました。
「生方部長は投手を見ています。赤堀コーチはスカウティングを担当し、打撃の指導を行っています。小谷コーチは選手として「機動破壊」を学んできたОBで、走塁、戦術を指導しています。教え子の宮嶋コーチは下級生やBチームを見ています。トレーナーは週1,2回来てもらっていて、来校する日は全部メニューを任せてもらっています」
健大高崎はコーチ陣のスタイルが色濃く出るチームです。葛原コーチがいた時代は走塁に特化したスタイル。葛原コーチの父である葛原 美峰氏がアナリストとして、相手チームの分析を行うことで、緻密なチームを作り上げました。
現在は強力打線が大きな武器となっています。打撃については、盛岡大附のコーチ時代に打撃理論を学んだ赤堀 佳敬コーチの指導で、スラッガーを多く育成しました。
健大高崎の歴史を振り返ると、カリスマ性のあるコーチが選手の実力、チーム力を底上げしていました。
これはコーチの分業がしっかりしているNPBに近い運営かもしれません。自身は黒子に徹し、組織運営を行う青柳監督のスタイルは、今回の優勝でより主流になっていくと思います。
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