18番が一番似合う男、松坂大輔が本当の伝説になった日
松坂 大輔(横浜出身)
背番号18から涙がこぼれているようだった。19日、日本ハム戦で先発し引退登板を終えた西武・松坂大輔投手が、日本ハムベンチも含めて、グラウンドに別れを告げ、ベンチに引き揚げていった。松坂は必死に笑顔を浮かべていたが、背中からは悲しみがにじみ出ていた。
引退登板、初球は118キロ。高めに浮いたボールだった。2球目にストライクは取ったが、結局カウント3ー1から最後は116キロの直球が日本ハム近藤の近くにいき、四球を与えた。日米通算377試合目。「今の自分を見てもらいたい」。その気持ちがこもった5球だった。打者1人に全力投球した。悔いはない。
試合前、ブルペンで投げる姿は楽しそうだった。三塁側のブルペン付近では、写真を撮るファンで混み合うシーンも見られたが、「見られる」緊張感とともに、「見てもらえる」楽しさを味わっていたのかもしれない。ブルペンから「引退登板」が始まっていたのかもしれない。
「投げることが怖くなった」
松坂が試合前に開いた引退会見での言葉だ。想像を絶する投球を行ってきた「平成の怪物」は燃え尽きた。投げるたびに「伝説」を作り上げてきた右腕は、その多さ故に、負担がかかっていたのだろう。「怖く」なるまでやり切った。
平成の野球シーンを引っ張ってきただけに、引き際は難しかった。どこまでやるのか。本当に復活できるのか。心無い声も耳に入ってきたかもしれない。だけど野球が好きだった。「怖く」なるまでやり続けられた。それだけで幸せなのかもしれない。
「自信が確信に変わりました」。松坂がイチローとのプロ初対決で3三振を奪った試合後のインタビューで発した言葉だ。伝説の男は数々の言葉を残してきたが、最後も松坂らしく正直だった。
思うような投球ではなかっただろう。引退試合とは、そういうものだ。真剣勝負にはならないし、ファンもそんな対決は望んでいない。松坂は最後まで松坂だった。それでいいと思う。
背番号18の背中は、西武ファンのみならず、ともに平成をかけぬけた野球ファンの心にしっかりと刻み込まれた。
(文=浦田 由紀夫)