夜勤バイトで現役復帰の資金調達 滋賀でNPB入りを目指す元甲子園のスター・植田拓【後編】
盛岡大附(岩手)で2016年夏から3季連続で甲子園に出場し、4本塁打を放った植田拓。身長165㎝と小柄ながら高校通算63本塁打のスラッガーとして、NPBのスカウトからも注目を浴びていた。
卒業後はプロ志望届を提出せずに社会人のバイタルネットに進むも2年目で退社。昨年は四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツでプレーし、今年からはルートインBCリーグのオセアン滋賀ブラックスに活躍の場を移している。
手首の手術や娘の誕生など、紆余曲折を経てNPB入りを目指している植田。高校時代から現在に至るまでの道のりや今季に懸ける想いを語ってもらった。
再スタートの資金調達のため夜勤バイトも

植田拓選手(オセアン滋賀ブラックス)
医薬品の卸売り事業を行っている同社での主な社業は倉庫での出荷作業。繁忙期やオフシーズンを除けば、比較的野球に集中できる環境だった。
しかし、入社直後に悲劇が訪れる。守備中に手をフェンスに突いてしまったことで、右手首の状態が悪化。しばらくはごまかしながら試合に出場していたが、「最後はヘッドを立てる時に衝撃が来るので、耐えきれなかった」と手術に踏み切った。
それと同時に中学3年生の頃から交際を始め、社会人になってから同棲していた実穂さんとの間に子どもを授かった。初めは喜びがあったが、「もうすぐ産まれるという時にお金の方がちょっと厳しくなってしまって…」と不安を覚えた。
福利厚生こそ充実していたが、給料は月給10数万円と言われる独立リーグと大差なく、妻子を養うのは難しいと判断。長女誕生後の2019年7月に退社し、地元の大阪に戻った。
帰阪後は貝塚リトルシニア時代のチームメイトに誘われ、「給料とか色々聞いて、良い感じだったので」と飲食事業などを展開するジェイエフエフシステムズに入社。同社の野球部で手首のリハビリをする傍ら、独立リーグ挑戦の資金を貯めるために夜勤のアルバイトを行っていた。
そして、手首が癒えた昨年6月に四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに入団。NPB入りを目指して、再スタートを切った。
しかし、1年以上公式戦から離れていた影響は避けられず、昨季は27試合に出場して打率.147、0本塁打、2打点と本来の実力を全く発揮することができなかった。
「僕の中では練習したら、1年くらいのブランクは大丈夫やろと思ったんですけど、ストライクゾーンやタイミングもわからず、結果も残せていないので、甘くないなと思いました。体も太っていて、体重は85㎏くらい。キレも悪くなって、思うように動けていなかったですね」
当然ながらドラフト会議で指名されるわけもなく、昨季限りで愛媛を退団。更なる成長の場を求めて、ルートインBCリーグのオセアン滋賀ブラックスに移籍した。
[page_break:家族の支えを糧に勝負の年に]家族の支えを糧に勝負の年に

植田拓選手(オセアン滋賀ブラックス)
「オフシーズンにこの1年でプロに行くという気持ちでオフシーズンは動いていたので、体も結構絞れてきたので、動きはだんだん良くなってきているかなと思います」
覚悟を決めた今年は食事制限を行い、アルバイトも体を使う引っ越しを選択。体重を75㎏まで落とし、シーズンインを迎えることに成功した。その効果もあり、5月13日時点で11試合に出場、打率.282、2本塁打とまずまずのスタートを切っている。
「今年は愛媛よりも全然スタートが良いので、これから落とさずやっていけば、良い結果を残せると思います。そこは練習で体力をつけて、結果を出すだけだと思うので、怪我をしないようにはしています」
柳川 洋平監督からは「変える必要はない。自分の持っているものを練習や試合で見せるだけだぞ」と言われており、持ち味のフルスイングは健在。今季の結果次第ではドラフト指名も十分にありそうだ。
植田がもがき苦しんでいる間、先にNPB入りした同級生の村上 宗隆(ヤクルト)や安田 尚憲(ロッテ)がチームの4番に定着。水をあけられた感はあるが、「自分も早くそこのラインに達したい。追い抜けるようにこれからやっていけば、そのラインに立てると思う」と挽回を図っている。
そんな中で励みになっているのが家族の存在だ。現在は妻の実穂さんと6月で2歳になる娘の里乃葉ちゃんを大阪に残し、彦根市で単身赴任生活を送っている。家族に良い暮らしをさせるためにもNPBに行きたいという気持ちが強い。
「球場で僕を見つけたら、『パパ、頑張れ~』と言ってくれたりするんです。(生活が)安定しないので、子どもにも良い思いをさせたいなとは思っています」
大学に進んだ同級生は4年生になり、今年が勝負の年になるのは百も承知。「プロに行くラインも厳しくなっているので、今年か来年で終わるという風に自分には言い聞かせています」と自らにリミットを定め、NPBのスカウトにアピールする日々を送っている。
「スカウトからこの選手は面白いなと思ってもらえる選手になりたいです。積極的に初球から振っていけて、守れて、走れる選手を目指して今は練習しています。そして、今年は柳川監督を滋賀で初めて優勝した監督にしたいと思っています。僕もファンの期待を裏切らず、結果で応援してもらった恩返しをできるように頑張っていきたいと思っています」
チームのため、ファンのため、そして家族のために活躍を誓う植田。かつての甲子園のスターが再び脚光を浴びる日はそう遠くないかもしれない。
(記事=馬場 遼)