記録員として斎藤佑樹とともに甲子園優勝 及川龍之介さん(早稲田実業出身)が語る”過酷な下級生時代”【前編】
2006年。
12年前の2006年の夏の甲子園は、この2人が熱狂を生んだ。
田中将大は駒大苫小牧のエースとして夏甲子園3連覇を目指し、苦しみながらも決勝戦まで勝ち進んだ。そして斎藤佑樹は早稲田実のエースとしてチームをけん引。日々の甲子園での快投、ハンカチで汗を拭う仕草が話題となり、爆発的な人気を生んだ。2人は夏の甲子園決勝で激突。延長再試合に及ぶ激闘は今でも高校野球史に語り継がれている。
この戦いを記録員としてベンチから見届けたのが、及川龍之介さんである。現在はミズノ株式会社の経理財務部の大阪経理課に勤めている及川さんに、当時の早稲田実業時代のことを伺いました。
同級生たちのレベルの高さを痛感した入学当初
経理財務部の大阪経理課所属 及川 龍之介さん
「中学は日大二中出身なんです」
インタビュー冒頭に話してくれた驚きの経歴である。及川さんは中・高一貫校である日大二中出身でありながら、高校は早稲田実業を受験して、見事合格。早稲田実業の門を叩いたのである。
日大二でも十分甲子園に狙えるはずだったが、及川さんはなぜ早稲田実業に進学を決めたのか。
「日大二中から日大二に行くにしても、高校に入るのには入学金がかかる。だが別の私立に行っても入学金がかかるということで、そのまま進んでも外に行っても、負担が変わらない。だったら、受験してチャレンジしてみようかなと思って受けました。」
及川さんの両親が早稲田大出身で、慶應大学で非常勤講師をやっていた。また両親の影響で小さい頃から早慶戦を見に行っていたこともあり、早稲田の系列と慶應の系列を受けて早稲田実業に合格したのがきっかけだった。
そういった経緯を経て入学した早稲田実業。当時の練習の印象を伺うと、
「スポーツ推薦で入った子はある意味うまいのは当たり前というか、そういうところがあったんですが、一般入試で私と同じように入ってきた子もかなり上手な同期が多かった。ですので、レベルが全然違うなというのはありました。」という強豪校のレベルの高さを肌で感じたそうだ。
早稲田実業(写真は昨秋の日大鶴ケ丘戦)
当時の練習は、主に上級生たちがグラウンドを使って練習しており、1年生は学校の近くの神社で急な階段を行ったり来たり、10キロほどのランニングをしたりした。
他にも、室内練習場の天井からぶら下がっている綱を登るなど1年生の春の練習は基礎ばかりで辛かったそうだ。実際にそのきつさに、練習初日に足をつったことをよく覚えていると話してくれた。
こうした練習に取り組みながらも時々グラウンドの中に入ってボール拾いはできたそうだ。しかし新たな過酷さが及川さんを待ち受けていたのだった。
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つらい基礎練習の日々。とにかくきつい学外でのルール!
経理財務部の大阪経理課所属 及川 龍之介さん
当時のバッティング練習はおよそ3時間実施していたが、それが大変だった。
「グラウンドの中で球拾いができたのならまだいいんですけど、グラウンドの外で球拾いというのもありまして、それがかなりきつかったです。特に精神的にきつかったんです。」
なかなかフェンスを越える打球は飛んでこないため、ただひたすら待ち続ける。しかも監督から両足で立って待つように指示が出ている。入学当初は河原での練習だったため、しっかり立っているか常に見られる。ここに辛さがあったそうだ。
また、素振りやティーバッティングなどを合わせて千本振るといったところも大変だったそうだ。
厳しい練習を過ごしてきた及川さん。精神修練といえる厳しさは練習だけなく、学外にも及んだ。
「例えば、電車では座ってはいけない。また通学路で朝、駅から学校までけっこう長い道が続くんですが、上級生の姿が見えたら、ダッシュでそこまで行って、おはようございますとあいさつをしなければいけない。そしてあいさつが終わったら、先輩が自分の姿を見えなくなるまでダッシュしなければいけない。ですので、気づけば1キロ近く走っていたりしていました。」
他にも1年生の時は、学帽を被って歩くというルールもあったそうだ。しかし及川さんは、あまり良いイメージを持っていなかった。なぜなら、あまり学帽を被っている人がいなかったためだ。
こうした数々のルールがあり、時々先輩のことを気づかないふりをしてみたり、地元の駅とかですっと帽子を外したりすることもあった。だが、他の部活の先輩にその姿を見られ、野球部の先輩に知られてしまう。すると規則を破ったことに対する注意をあとから受けることもあり、普段の学校生活から周りからの目があったそうだ。
野球部だからこそ規則に対しての厳しく注意させるのは、今の球児にも通じているのではないだろうか。
早稲田実業 和泉実監督
後輩だからこそ学校生活から大変な思いを経験した及川さん。だが和泉実監督の印象を聞くと、練習や部のルールとは全くの別物だった。
「優しい方ですね。監督というよりも、みんなのお父さんという形で接してくれるので、親しみやすさがありました。」
様々な厳しさを経験していた及川さん。しかし和泉監督の優しさが心の支えになっていたのかもしれない。
今回はここまで。及川さんが高校野球で積んできた様々な苦労が、いよいよ報われる瞬間がやってきます。後編では全国制覇した当時の話や、現在の仕事に就かれた経緯。そして球児に向けてメッセージを伺いました。お楽しみに!
文=編集部
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