【特別対談】高橋宗司さん×クーニンさん×河嶋宗一(高校野球ドットコム副編集長)VOL.1「陸上人生の始まり」
高校野球ドットコム特別企画として、今、中高生に注目を浴びているこの二人をお呼びしました。今回対談していただくのは、強豪・青山学院大陸上部に所属し、2度の区間賞を受賞した経験を持ち、現在は市民ランナーとして活動する高橋 宗司さん。そして、野球ユーチューバ―として活動するクーニンさんの対談が実現。クーニンさんが設立したqooninTVは、現在ではチャンネル登録者数18万人を超えているほどの人気チャンネルとなっています。そこに高校野球ドットコム編集部副編集長の河嶋 宗一が参戦。3人の間でディーブなトークが繰り広げられました。
まず1回目は2人の対談のきっかけや、高橋さんの野球のかかわりについて触れていきます。
実は接点ゼロだった
高橋 宗司さん
河嶋 宗一(以下、河嶋):まず競技が異なるお2人はどういうきっかけで出会ったのでしょうか?
高橋 宗司(以下、高橋):これは僕からお話しをさせていただきます。僕は動画を見るのが好きで、陸上ユーチューバ―の人がいて、その方の動画を見ていたときに、クーニンさんの動画も見るようになりました。
1日1回必ず見ているんですけど、野球ユーチューバ―の人はなんでこんなに面白いのか!と思って。「クーニンさんのように面白い陸上のユーチューバ―ができればいいな」とTwitterでつぶやいたら、そのつぶやきにクーニンさんがリプライをくれたのが始まりなんですよ。
クーニン:僕自身も、高橋さんのことをあまり知らなくて、Twitterのイメージしかなかったんですよね!高橋さんのTwitterのアイコンが、ハーフで、つるぴか頭の人の画像だったので、そういう人が来るのかと思っていたら、実際はそうではなく、体型も想像していたのと違いますし、頭もふさふさで(笑)。イメージと実像がだいぶ違うなと感じました。
高橋:なので、接点はゼロでした。
河嶋:高橋さんはクーニンさんと初めてお話ししたときは、青山学院大でやっていた高橋です!と自己紹介したのでしょうか?
高橋:自分から名乗るのはおこがましいと思っていて、僕から話すことではないと思っていて、Twitterでは言いませんでした。僕が一方的にクーニンさんが好きなだけで、ないです。本当に接点はゼロです。
クーニン:陸上出身の方が動画を見ているのは初めてでしたので、新鮮な気持ちでしたね。
高橋:僕は中学まで野球をやっていたんですけど、野球に未練たらたらでやめてしまったんですよ。中学最後の試合、僕のスクイズミスで負けてしまいまして…。今でも夢に出てきて、野球がやりたい気持ちを今でも抱えていて、クーニンさんの動画を見ることで満足してきました。
クーニン:僕もそういう気持ちで動画をやっていると思います。僕は野球の仕事をしたかったんですよ。野球の仕事ができない欲求をYoutubeで発散していました。高橋さんのように野球がしたい。けれどもできない。
そして私は野球の仕事がしたいけれどできない。その思いを見ながら動画を見る、作るというのは共通点がありますね。
高橋:確かにそうですね。
[page_break:クーニンさんの動画を見て、草野球を始めた]クーニンさんの動画を見て、草野球を始めた
クーニンさん
クーニン:実は僕も、中学最後の試合ではラストバッターになってしまったんです。ライト前の綺麗なヒットかなと思ったら、フライで。それで終わったんです。
高橋:僕は、サインミスでスクイズを失敗したんですよ。自分の中学を破ったチームは県大会優勝。サヨナラに近い形で負けて悔しかったですね。自分は小学校の時には全国大会に行ったので、中学でも行きたかったんです。でも初戦敗退。今でもそのミスが大きかったと思っています。
クーニン:話を聞くと、そこまで野球が好きならば軟式野球をやってもいいのではと思うのですが…。
高橋:最近、クーニンさんの動画を見始めたんです。実は大学を卒業してから野球のスパイクを買ったんですけど、ずっと飾ったままでした。クーニンTVを見て、だんだん野球がしたい気持ちになって、今度、草野球チームに入ることになったんです。
クーニン:いいですね。それで野球でのコネクションが作れますからね。僕の動画を見ている方では、学生時代、野球をやっていた方も多くいるのですが、空白期間がある方が、僕の動画を見ることで野球を再び始めるきっかけになってほしい、という思いで動画を作っていますので、それは成功といえます。
河嶋:高橋さんにお聞きしたいのですが、クーニンさんの動画を見て、どういう動画が高橋さんの心をとらえたのでしょうか?
高橋:最初は大阪桐蔭など名門校の練習座談会を見たことですね。本当に気になりまして、また早稲田大の選手など、当時、すごく応援していた選手がおじさんになって、当時のユニフォームを着て、当時の練習内容など、僕にとってすごく気になる話を、長い尺をとってやってくれるんですよ。それが嬉しくて、そういうのが野球をもう一度やりたいと思うきっかけとなりましたね。クーニンTVだから見た、というのではなく、「大阪桐蔭シートノック」など、野球の名門校の練習内容を検索したらクーニンさんの動画に行きついたんですよ。
そこから動画を見てみると面白くて。全部漁るようになりましたね。
[page_break:挫折から始まった陸上人生]挫折から始まった陸上人生
インタビューの様子
クーニン:ここまで話を聞くと、本当に野球好きなのが分かるんですけど、なぜ陸上をはじめたんですか?
高橋:僕は陸上を始めたのが高校からですが、中学の野球部は陸上の大会に出ることがあるじゃないですか。僕もそんな感じで陸上の大会に出て、県大会で入賞したんです。それで周りから「野球より陸上の方が向いている」といわれていて、陸上からのお誘いもあったんですけど、僕は甲子園に行きたいといってずっと断っていました。
中学3年に自分が進学した利府高校の体験入試に行ったとき、一緒に野球部の練習を見まして、甲子園を目指す強豪校は、僕が思っているのとは全然違う野球をやっていて、「野球をやったらダメだな」と思って、1日で高校野球をやることは諦めました。進学校で野球をやるつもりだったんですけど、親に頭を下げて利府高校で陸上部をやることになりました。
河嶋:描いたイメージとは違っていたのでしょうか?
高橋:僕は中学時代、投手とファーストをやっていたんですよ。エースにはシニア上がりの投手がいて、球速も130キロも投げて、本当にうまい選手だったんです。ずっとその選手が投げていて、僕はたまに練習試合で投げる程度。だから、高校野球では投手として活躍したい思いがあったんです。
でも田舎の中学校で野球をやっていたので、外のことを何も知りませんでした。井の中の蛙だったわけです。宮城県で一番強い公立校の利府の練習を見て、やっぱり投手は無理、投手が無理ならば野球はできないと思って、野球を辞めてしまいした。それでも、心の整理がついたわけではありませんでした
河嶋:陸上をやっていても、高校野球を見るのは好きだったんでしょうか。
高橋:そうですね。合宿中では、みんな寝ている中で、僕はずっと野球を見ていました。仙台育英の佐藤 貴規と同世代で、2010年のエースだった田中 一也(青山学院大‐JR東日本東北)とは小学校が同じだったんです。高校3年生の時に田中が甲子園にいって、「俺、めっちゃ人気になった!」という話をしてくれて、とてもうらやましいと思いましたね。当時、僕は陸上では全くの無名だったので、高校野球は有名になれるんだなという気持ちになりました。
河嶋:高橋さんが高校2年生の時に、利府は21世紀枠で選抜出場、ベスト4まで勝ち進みましたが、甲子園をアルプスから見た感想はいかがでしょうか。
高橋:その時甲子園球場に初めて行ったのですが、みんな無邪気に応援するんですよ。僕は甲子園でプレーをしたかったので、はしゃぐこともなく、じっと見ていた記憶があります。
第2回は、高橋 宗司さんに青山学院陸上部でのエピソード、長距離走の極意を聞きました。(続きを読む)