春夏通算で13度甲子園に導いた日本文理の大井道夫監督が今年度限りで退任
今年度限りで退任する大井道夫監督(日本文理)
春夏通算で13度の甲子園に導いた日本文理の大井道夫監督が今年度限りで退任
日本文理(新潟)の大井道夫監督が今年度限りで退任することとなった。
まさに新潟県の高校野球レベルを一気に引き上げた人物だ。高校時代(宇都宮工)は夏の甲子園で準優勝投手(1959年)に輝くなど選手としても素晴らしい実績のある大井監督。1986年、日本文理の監督に就任。その頃は部員も10数人しかいないところからスタート。指導法も手取り足取りの指導から、選手に考えさせる指導法へシフトチェンジをしていくと、徐々にチーム力をつけていく。1997年夏に甲子園初出場を果たした日本文理は、2000年以降、春夏通算12回の甲子園出場。2009年夏は快進撃を見せ、決勝進出。
決勝戦の中京大中京戦では、10対4とリードされて迎えた9回、二死から猛反撃で1点差としてスタンドを大いに沸かせ、歴史に残る名勝負となった。以降、新潟県の学校が北信越大会でも上位に勝ち進んだり、新潟県の代表校が甲子園でもパワフルな野球を見せるなど、新潟県の高校野球はここ数年で、大きくレベルアップした。
また投手育成にも定評があり、2014年、横浜DeNAに入団した飯塚悟史も大井監督の指導法によりプロ入りを実現させた投手だ。飯塚は高校1年までは最速145キロを誇る速球派右腕だったが、故障も多く、制球難に苦しんでいた時期もあり、大井監督は勝てる投手になるためにはどうすればいいのか?と飯塚に問いかけた。そして飯塚は自らスピードへのこだわりを捨て、制球力重視の投球にシフトチェンジ。結果として、飯塚は二季連続甲子園出場、2014年夏は甲子園ベスト4に導くまでの投手へ成長した。
昨秋は北信越大会ベスト4まで勝ち進んだが、逆転負け。準決勝の高岡商戦が最後の采配となった。
後任は日本文理の初の甲子園出場メンバーで、東洋大出身の鈴木崇コーチが務める予定だ。