細川成也は高3まで「全然ボールにバットが当たらない」選手だった!今や中日の主砲が見せた驚くべき進化、強烈すぎるロングティー【主筆・河嶋宗一コラム『グラカンvol.17』】
明秀日立時代の細川成也
皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋です!
今回は、中日の主砲・細川 成也外野手(明秀日立)を取り上げます。昨年は24本塁打を放ち、大ブレイク。今年もリーグ2位の7本塁打を記録しています。高校時代の取材の思い出を振り返っていきたいと思います。
まず細川選手の高校時代の活躍を振り返ります。
強打者を多く育てた金沢監督の指導で高校通算63本塁打に到達
福島のいわきシニアから明秀日立に進んだ細川選手。入学当時から長打力には自信を持っていたそうですが、バットに当たる確率が低く、空振り三振も多かったようです。光星学院時代、坂本 勇人内野手(巨人)、北條 史也(元・阪神)など数多くの強打者を育て上げてきた金沢 成奉監督の指導で、少しずつミートする確率が高まり、自慢の長打力も見せ始めます。高校3年のドラフト直前のインタビューでは、このように振り返っていました。
「中学の時は本当に上半身だけで打っている選手でした。しかし金沢監督から下半身の使い方や股関節をうまく使うことを教わり、打撃フォームが固まってきました」
本塁打を連発するようになったのは3年春から。岐阜県で行われた「高校野球フェア」では6試合で5本塁打を記録しました。相手は中京、大垣日大、県立岐阜商といった岐阜県上位のチーム。そのチームのエース格から打ったようです。
「あの時、ボールも見やすい状態で、さらにうまく力が抜けていて、素直にバットを出したら本塁打になっていました。それぐらい調子が良かったです」と振り返った細川選手。指揮官もナインも、「化けたぞ!」と驚きの大爆発でした。
当時はチームのエースだった細川選手は140キロ中盤の速球を投げ込む速球投手でもありました。最後の夏へ向けて打撃力強化だけではなく、捕手を座らせて200球を投げ込む日もありました。本塁打も順調に積み重ね、夏の大会までに高校通算61本塁打に到達。
夏の大会では準々決勝の水城戦、準決勝の霞ヶ浦戦で本塁打を放ち、迎えた決勝の常総学院戦では鈴木 昭汰投手(ロッテ)に抑え込まれ、無安打に終わり、甲子園まであと一歩のところで高校野球を終えました。細川選手が高校3年間で積み重ねた高校通算63本塁打は茨城県では歴代最多となりました。
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