日本文理【前編】大井イズムの継承、日本文理新チーム始動
日本文理・大井道夫監督が勇退。この話題で持ちきりだった2017年の新潟高校野球界。一つの歴史の幕切れは、同時に新たな歴史の始まりも意味する。8月下旬、日本文理は鈴木崇新監督のもと、新チームが本格始動。初の公式戦だった昨秋の新潟県大会を優勝、北信越大会ベスト8という実績を残し、グラウンドが思うように使えない期間に入った。
1月中旬、そんな日本文理野球部を取材。就任以降、鈴木監督が大切にしていること、県大会、北信越大会での勝利、敗戦から得たこと、そして今“新潟の長い冬”をどう過ごしているのか?鈴木監督の口から語られた“日本文理野球”とは?
8月下旬、甲子園での戦いが終わり、つかの間の休息を終えた選手、コーチたちが日本文理のグラウンドに集結した。鈴木崇新監督のもと、新チームが本格始動。メディアはこぞってこう書きたてた。
大井イズムの継承、日本文理新チーム始動
日本文理高校野球部
2009年、夏の甲子園で準優勝。惜しくも逆転こそならなかったが、決勝での九回二死からの猛攻は今も語り継がれるほど強烈なインパクトを残した。さらに2013年秋には明治神宮大会で準優勝、翌年夏にはエース・飯塚悟史(現・横浜DeNAベイスターズ)を擁し、ベスト4に進出。新潟県=高校野球弱小県のイメージを完全に払拭した立役者である名将・大井道夫(現・総監督)の“イズム”。この“イズム”とはなんだろう?という疑問を鈴木崇監督にぶつけるところから、今回のインタビューは始まった。
「【大井イズム】というのは、人によって考え方がいろいろあると思います。一般的に言えば、(日本文理らしい)打ち勝つ野球のことと考える人もいるだろうし、あるい伊藤(直輝)や飯塚(悟史)のときのように一人のエースがいて勝つことだと言う人もいるでしょう。みんながどうとらえるかなんだけど、ようはうちが今までやってきたこと。ただ私は、『大井野球(イズム)=全国でどう通用するか野球』だと思っています。結局うちが全国で戦うにはどういうメンバーを育成していくか、それを練習時から見てどう使っていくか。そこなんじゃないかな」
選手として日本文理が初めて甲子園に出場した時にセカンドを務め、その後はコーチとして10年以上“大井野球”を見続けてきた鈴木監督は、これまで主にBチームを指導。甲子園で躍動する日本文理のAチームがどのような野球をやるのかを、入学してきた1年生、メンバー漏れした2、3年生に徹底的に叩き込んできた。
例えば、1年生が入学してきたばかりの5月、Aチームに入らなかったBチームの選手は積極的に県内外の高校へ練習試合に向かう。有望株として下級生のときから目をかけられる者、鳴り物入りで入学するも伸び悩んだ者、最後の大会のベンチ入りをかけ必死にアピールする3年生。それぞれ立場の異なる選手たちが一丸となって試合に臨む。鈴木コーチ(当時)は、そんな試合を鋭い眼光で見つめ、そして“ぼやく”。打席に立つ前に、あるいはマウンドに上がる前に「こうしろ」というアドバイスはない。選手自身が自ら、ランナーの状況、カウント、相手の守備陣形、相手投手の球種、打者の力量……さまざまなことを相対的に考えながら、試合に臨まなければならない。そのひとつひとつに対する“ぼやき”に、ベンチにいる選手は耳をすませ、グラウンドに出ている選手はイニング間にアドバイスを乞う。こうして自然と野球に対し、能動的に考え、実践するクセをつけていく。
それは、大井前監督が目指し実践してきた、ノーサインでグラウンドに出ている選手が自ら考え、実践する高度な野球のいわば土台作り。中学時代から評価の高い選手だけでなく、ベンチ外だった選手がベンチ入りしたり、レギュラーを取ったりするのも、選手の努力と共にその手腕による部分が大きい。その指導力は、大井前監督も「(鈴木)崇(監督)は本当に野球が好き。だからよく勉強している」(2015年インタビュー時談)と認めるほど。現チームで主将を務める坂井元気(新3年)は言う。
「1、2年生のころから(鈴木監督とは)コーチと選手という関係でやってきたので、(監督に就任しても)選手の間で戸惑いや動揺はなかったですね。監督が変わったから何か違うことをしなければいけないということではないですし、日本文理高校の野球は変わっていないので。最終的に教えていただいたことを選手がどう表現できるか。そのためにしっかり練習しています」(坂井主将)
「簡単に言えば継承。全く違う指導者が外から入ってきて『違う野球やるぞ』っていえばそれ違うけど教える人間が変わらない。例えばノーサインとは言わないまでも、打つことを前提に『どう塁に出るのか?』『どうチャンス作るのか?』ということを一つ一つ順序立てて考える。それは、今までBチームでやってきたことなんです。傍目から見ると、日本文理の野球ってノーサインで『はい、打てー』ってやっているように見える部分が多いと思う。でもそこにたどり着くまでにやるべきことはしっかりやっているんですよ」(鈴木監督)
新チームが残した結果
昨秋の県大会で投球する鈴木 裕太投手(日本文理)
新チームで初めて迎えた公式戦(秋の新潟県大会)では、圧倒的な強さで優勝。秋の大会3連覇に加え、一昨年秋からの県内公式戦での連勝をさらに伸ばした。前チームが甲子園に出場した関係で、県予選で敗退したチームに比べ、新チームの本格始動が遅れたにも関わらずの結果は、大井前監督―鈴木監督による指導の一貫性がもたらしたものといえるだろう。
「秋の大会前は短い準備期間でしたけど、(新チームを想定して)4月から1、2年生で準備してきましたし、甲子園期間中もしっかり練習ができていたので、すんなり大会に入っていくことができました。前チームの先輩方に比べて、全てにおいて力がないことは選手自身分かっていたので、せめて気持ちで負けることのないように戦いました。僅差の試合もものにできましたし、1試合1試合のいいところ悪いところを振り返って、次の試合に生かせたことがいい結果に結びついたと思います。先輩たちが築き上げてきてくれたからこそできた秋3連覇を自分たちの代で崩すわけにはいきませんでした」(坂井主将)
「この大会では、私が選手を動かすというよりは、選手がどう動くかを見たかったんです。こういっちゃなんだけど地力では劣らないと思っていましたし、実際優勝したから、選手に力があるんだなって思いました。
ただ、支部予選の新潟工業戦(2対0)と、ベスト8の高田北城戦(10対5※4対0から六回逆転され、八回に再度逆転した試合)はいい分岐点になりました。新潟工業戦は雨の中、すべてが自分たちの思い通りにならない試合。新チームで緊張感のある試合を経験していない中での焦れる展開だったんだけど、新谷晴(新3年)がよく投げた。高田北城戦も、(Wエースの鈴木)裕太(新3年)でやられそうになる展開。選手も焦ったと思うけど手綱をしっかり締めてなんとか勝てました。『試合は苦しいもの』ということをしっかりと学べた試合だったんじゃないかと思います。
これでタイトル取ったわけだから、ライバルに負けられない。勝てばハードル上がるの当たり前。自分たちがつらい、ハードルあげたくないなら勝たなきゃいい。でも今、勝つ集団の中にいるっていう自覚がないとダメなんですよ」
「今、勝つ集団の中にいる」という自覚を持たせること。それはチーム内の競争をより激しくしている。鈴木監督自身、選手の能力、伸びしろを信じているからこそ、大胆なチーム編成を行っている。
「秋の大会では準決勝が終わって学校に帰ってきたとき、メンバー外で紅白戦をさせたんです。北信越大会を意識して、『今背番号付けてるメンバーは明日(決勝で)見極めるけど、5人は空けるから』と言って。実際、入れ替えました。選考理由もしっかり話して。“高校生の1週間”の恐ろしさを、すごいという意味も含んで知ってるので。だから選手には、『認めざるを得ない存在になれ』って言っています。『あいつばっかり(試合に出て)』ってねたむ前に、『なにくそって率先して(練習)やれ』と。それで『やべー、あいつには勝てない』って言われる存在になっていくのが競争だろうって」
厳しく、激しい競争によって選ばれたメンバーで臨んだ北信越大会。だが、日本文理の新チームは厳しい現実を突きつけられる。一つの敗戦から何を学び、そして、“新潟の長い冬”をどう越えたのか。後編へ続く。
(文=町井 敬史)