八幡商vs帝京
勝負をわけた中間守備
一瞬、目を疑った。
9回表、帝京の守り。1死満塁となったところで、内野手が前に来たのだ。スコアは3対0。3点のリードがある。なぜ、前進守備なのか。前田三夫監督に尋ねると、通算51勝のベテラン監督はこう答えた。
「あそこは後ろに下げさせました。(アウトを)ひとつ取ればいいからね」
指示は中間守備だった。
ところが、帝京の内野手が守っていたのはベースとベースを結ぶラインの上。実は、これは帝京の選手たちにとっては間違いではない。
一般的に中間守備というと、二塁での併殺を狙う態勢、位置だが、帝京でいう中間守備はライン上に守ることだからだ。
念のため、セカンドの阿部健太郎に確認すると、「指示は中間です。中間の守る場所ですか? ライン上です」とのことだった。
東東京大会3回戦の都立城東との試合では、こんなことがあった。7対0とリードした3回裏、1死満塁のピンチを迎えたところで、この日と同様に前に守ったのだ。大量リードの展開で、なぜこの守備位置をとるのか。ショートの松本剛に聞いたところ、「自分は中間の指示を出しました」と言っていた。
城東戦はもちろん、八幡商戦でもいえるのは、二塁走者までは還してもいいということ。3点勝っているからだ。最悪、3点目まで許しても、後攻のため、裏の攻撃がある。それぐらいの余裕を持っていい場面だ。二塁走者まで還していいということは、二、三塁にいる2人の走者は無視してもいいということ。実際の状況は1死満塁だが、プレーする選手たちは1死一塁と思って守ればいい。
そう考えれば、おのずと守る位置は変わってくる。阿部に1死一塁ならどこに守るかを聞いてみると「ラインより後ろです」。
それが正解なのだ。前に守り、わざわざヒットゾーンを広げる必要はどこにもない。
もちろん、これは外野手にもあてはまる。帝京外野陣は定位置よりやや浅めの位置に守っていたが、これも1死一塁と考えれば前すぎる。この場合は二塁走者を刺すための浅い守備位置ではなく、一塁走者を還さないための長打警戒シフトが必要だった。
ちなみに、セカンド、ショートがライン上、サードがベースよりやや前に守る中、一人だけ一塁ベース後方の深い位置に守っていたのがファーストの伊藤拓郎だった。伊藤になぜそこに守っていたかを問うと、「ゲッツーを取る位置だったので」。他の選手たちの守備位置に違和感を持っていたのかと思ったが、他の選手の守備位置は「見ていません。ライトですか?」。残念ながら、そうではなかった。
結果的に、この1死満塁で飛んだ打球はショートへのゴロ。松本はバウンドが合わずはじいてしまった。
「1点もやりたくなかった。あそこでひとつ(アウトを)取りたかったんですけど……。自分のミスで流れが一気に変わってしまった」
強い打球ではなかったため、併殺が取れたかは微妙だが、ラインより後ろに守っていれば、最低でもひとつはアウトに取れた当たり。
前に守る“中間守備”が仇になった。1点を返され、浮き足立つ帝京ナイン。
動揺が見えるマウンドの渡辺隆太郎が直後に遠藤和哉に満塁本塁打を浴び、まさかの大逆転を許した。
点差、イニング、打順のめぐり……。現状をしっかりと把握すれば、焦る場面ではない。3点差あり、あとアウト2つで試合は終わる。打順は4、5番。4番の坪田啓希は滋賀大会の打率5割3分3厘、5番の遠藤は5割2分9厘で2本塁打。強い打球を打てる打者だけにヒットゾーンを広げるのは得策ではない。しかも、6番以降は全てスタメンの選手は交代している。5番までで同点にとどめれば、ひっくり返される心配は少なかった。それだけに、なおさら悔やまれる。
この試合の帝京は、終始余裕がなかった。
5回の守りでは右中間のフライでセンターとライトが接触して落球。その裏の攻撃では1死三塁で前の打席で本塁打を放っている松本に「攻めがちぐはぐだったので、取れるところで1点を取りにいった」(前田監督)とスクイズを命じるが、ウエストされて失敗に終わった。6、7、8回は失策の走者一人を出しただけで無安打。
前半の3点リードで心にスキが生まれたのか、9アウト中7アウトがフライと淡泊な攻めが目立った。結果的にこの3イニングの攻撃が響き、逆転された9回裏は8番からの打順になってしまった。追加点は取れないまでも、何人かが塁に出る打撃をしていれば、土壇場で伊藤、松本の1年生時から甲子園に愛されるスター2人に必ず回る打順のめぐりにできていた。
試合後、前田監督は「いやー、怖いよ。これが高校野球だなぁ」と漏らした。
「ショートのエラーが痛かった。あれで慌てましたよね。1点あげてもいいんだから、ツーアウトになればねぇ……。エラーが出るとこういう展開になる。立場が逆転してしまう」と悔しがった。
だが、それよりも惜しまれるのは守備位置。ラインより後ろで、余裕を持って守っていれば……。2002年の夏以来、春夏6度の甲子園ですべてベスト8以上に進出していた帝京が、自滅で姿を消した。
(文=田尻賢誉)