少年のように野球を楽しんでいた水島氏、「ドカベン」が待つ天国へ
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私にとって、高校野球界の「父」とも思える人がこの世を去った。漫画「ドカベン」の作者で知られる水島新司さんが他界した。
「ドカベン」だけでなく、「あぶさん」「野球狂の詩」の作者でも知られる。野球小僧だった私にとって、「ドカベン」は、漫画を楽しむことを超えて野球を深く知るということに関して「バイブル」でもあった。高校野球への憧れ、関心、甲子園への思い、すべてがこの漫画を通して生まれ、育ったといってもいい。
「あぶさん」は、南海ホークスで酒豪で知られるベテラン選手の景浦安武が主人公のストーリーだった。漫画の中でも、のちに福岡ダイエーホークスとなっても現役選手を続けていたこともあり、1999年ダイエーが初優勝した時に、電話でだが、取材した思い出が頭をよぎった。
若手選手への思い、南海ホークスへの思い、南海時代から頑張っていた選手たちへの思い…。受話器越しだが、熱い思いをまくしたててくれたことが昨日のことのようだ。
自ら草野球チームを持っていたが、たまたま神宮外苑で試合をしていたときに、遭遇したこともあった。ヤクルトとのオープン戦を前に、ダイエー投手陣が神宮外苑のグラウンドで行っていた調整を取材していた時だった。水島さんは楽しそうにプレーしていた。たまたま居合わせた報道陣にも気軽に声をかけてくれた人だった。
漫画「ドカベン」の主人公、山田太郎捕手をリアルに生きたような選手がいた。大阪の浪商(現大体大浪商)で春夏甲子園で活躍。南海に入団し、福岡ダイエーでプレーした故・香川伸行氏だ。170センチで、体重100キロ近くと、まさに「ドカベン」。現役引退後、仕事を一緒にしたことがあったが、生前、水島さんについて言っていたことがある。
「俺、水島先生がいなかったら、今の俺がないと思ってる」
愛されキャラとして、香川氏は引退後に野球評論家だけでなく、バラエティーなどでテレビ出演するなど、活躍してきた。ユニホームを脱いでからの人生は、「ドカベン」の愛称があったからこそだと感じていた。
水島さんは天国で待ち受ける香川氏とキャッチボールでもするのだろうか。いつか、神宮外苑でみた、あの笑顔を浮かべるに違いない。3月のセンバツをはじめ、これからの甲子園での球児のプレーを、ゆっくり天国から見守ってください。
合掌。
(記事:浦田 由紀夫)