仙台育英vs明徳義塾
[pc]
[/pc]
9回裏二死なら中越三塁打・同点のホームを踏んだ伊與田一起(明徳義塾)
明徳義塾の熱き男たち。その終焉と新たな始まり。
桐光学園の2年生左腕・松井裕樹による7回15奪三振。[stadium]長良川球場[/stadium]の観客が極上の「タレント」に酔いしれているころ。県都・岐阜市から約20km北西に位置する[stadium]大野町レインボースタジアム[/stadium]では、極上の「ベースボールゲーム」が繰り広げられていた。その演出者となったのは、明徳義塾(高知)と仙台育英(宮城)である。
この試合を迎え、両者は難しい立場に置かれていた。既に秋季宮城県大会を制している仙台育英は、5日(金)に開幕、6日(日)に一関学院(岩手第3位)と初戦を迎える秋季東北大会の公式練習を4日(木)に控え、「チームに合流するには3日のうちに仙台へ帰らないといけない」(佐々木潤一朗監督)過密日程が確定。一方の明徳義塾も同じく6日(日)に高知県大会準々決勝・高知南戦を控えており「負けたらすぐに高知へ帰らないと」(馬淵史郎監督)といった具合であったからだ。
しかしその一方で、両監督は「3年生に気持ちよく高校野球を終わらせてあげたい」(仙台育英・佐々木監督)想いも併せ持っていた。よって試合は「お互いクリーンナップがバントしないとああいう野球になる」と明徳義塾・馬淵監督も評したように、「高校野球」というより「ベースボール」の要素が多分に入ったものになっていく。
4回表に仙台育英が二死二塁から7番・稲澤潤(3年)の一二塁間適時打で先制すれば、その裏に明徳義塾が一死一・二塁から6番・杉原賢吾(3年)右翼線二塁打で同点。その後も7回には1点ずつ。8回にも途中出場の伊藤健太(3年)の中越2点二塁打などで仙台育英が3点を一挙勝ち越した直後に、明徳義塾が杉原の2点二塁打含む無死からの4連打で2点を取り返すなど、両校はまるで合わせ鏡のように点を取り合っていった。
9回引き分け・抽選で準決勝進出を決め明徳義塾と健闘を讃え合う仙台育英学園の選手たち
そしてクライマックスはまたもや9回裏に訪れる。二死後に3番・伊與田一起(3年)が3ボール1ストライクから「最後の最後まで野球をやらせてもらった」感謝の想いを豪快な中越三塁打で表現すると、続く4番・西岡貴成(2年)が追い込まれながらも、トップの位置が決まったことで「夏に比べて余裕ができるようになった」技術力を発揮する。そして彼の打球が二遊間を破った瞬間、明徳義塾ベンチは蜂の巣を突いたような大騒ぎとなった。
よって1回戦・東海大甲府(山梨)・神原友(3年)からの同点アーチに続く西岡の大仕事により、国体優勝を決める準決勝戦進出の行方はまたしても抽選に持ち込まれることになったのである。
ただ、最後の勝運は明徳義塾に微笑むことはなかった。初めての抽選に勝ち抜きガッツポーズを見せる仙台育英選手の前で、呆然と立ち尽くす選手たち。それはセンバツを逃し、長い冬をもがき、熱く春と夏を闘い、甲子園ベスト4まで登りつめた男たちの日々が終わったことを意味していた。
「唯一悔いの残るのは長良川で試合が出来なかったことだけ。3年生はよくやった。ご苦労さんだな。色々いい思いもさせてもらったし、厳しいこともいっぱい言ったけど、今日だけはほめてやりたい」。
1年生5月の県総体から2年半・明徳義塾のマスクを被り続けた杉原は勝ちきれなかった試合後「すいません」と頭を下げたが、そんなことをいう必要はない。上記に記した名将の賛辞が全てである。
そして3年生のDNAは1・2年生へ。新チームの主将・逸﨑友誠(2年)は語る。
「3年生からは粘り強さやあきらめない心を学びました。これからは先輩たちの出られなかったセンバツに出られるように、県大会・四国大会・そして神宮で優勝したい」。
そう、もう明徳義塾の次なる闘いは始まっている。
(文=寺下友徳)