東海大甲府vs龍谷大平安
夏春連覇した30年前の徳島・池田高を彷彿とさせる東海大甲府の猛打線
最初は似た者同士の戦いだと思っていた。両チームの先発、東海大甲府・神原友、龍谷大平安・田村嘉英は左肩を開いて140キロを超えるストレートと横変化のスライダーを投げる本格派同士という似た者。打線は1番が好打者同士、中軸の3人がパワーヒッターという似た者同士。さて、勝利の女神はどちらに微笑むのか、などと暢気に構えていたが、試合が始まって考えを改めた。東海大甲府のほうが投打ともにワンランク上だった。
左肩を開いて投げるタイプはストレートが高めに抜けたり、右打者の内角高め方向に抜けることが多いが、神原は開いて投げる形はそのままにする代わり、腕の振りをコンパクトにし、さらに低めに意識を徹底することによってフォームの悪癖がもたらす抜け癖を押さえ込んだ。
ピッチングスタイルに目を向けると、専門誌などには「MAX147キロのストレート」と書かれることが多いが、ストレートだけでなく、120キロ程度で大きく横に変化するスライダー、スライダーとは逆方向に変化するチェンジアップを投げ分け、勝負どころではフォークボールを投げて三振を取りにいく緩急自在のピッチングスタイルを展開した。
さらに内角を積極的に突く姿を見て、少し驚いた。7回裏、1死三塁の場面では7番基村脩也に対して内角いっぱいに140キロ台前半のストレートを2球続け、0ボール2ストライクと追い込み、1ボールのあと外角低めにスライダーを投げて空振りの三振というシーンがあった。内角の効用がわかっていなければこういう配球はできない。ストレートだけでなく、スライダーで内角を突くパターンもあり、内角攻めにバリエーションがあるというのは、神原を何回も見てきた私にとって新鮮な驚きだった。
打線は大げさでなく、82年夏、83年春に優勝した徳島・徳島池田を思い出した。5月の関東大会で見た宇都宮工、健大高崎戦のときは1番の渡辺諒(遊撃手・右投右打・178/75)以外は目に入らなかった。しかし、今日は3番山本瞬(2年・左翼手・右投左打・178/74)にも注目した。
山本に目が行かなかったのは、一本足打法が軸足に体重を乗せる手段ではなく、タイミングを取るためだけの手段だっただめだ。龍谷大平安戦でも同じで、その点は不満だが、振りの強さ、打球の強さが5月とは違った。
第1打席は4球めのフォークボールを打って右中間を深々と破る二塁打、第2打席は初球高めのストレートを打ってショートバウンドでレフトフェンスに達する二塁打、第3打席は3球続いたストレートを打って中前打、第4打席は外角高めの初球ストレートを打って左前打と打ちまくり、第2、3打席は打点付きだった。
この山本の打点に貢献したのが渡辺で、3回は先頭打者として左中間二塁打、5回は無死一塁の走者を二塁に送るバントと、1番打者らしい働きだった。
昨年、東海大甲府には高橋周平(中日)という高校野球界を代表するスラッガーがいた。3番を任されていたが、マスコミ人気が凄すぎたためか、勝負をしてもらえないことが多かった。それが1年生の渡辺が4番を打ってヒットを量産しはじめると他校の投手は高橋と勝負せざるを得なくなり、その結果高橋にもヒットが出始めた。
渡辺の走攻守が凄いと書くより、高校卒1年めからプロの一軍でプレーすることが多く、ホームランも打っている高橋周平を引き合いに出したほうが渡辺のスケールの大きさに迫れると思って昨年の話を蒸し返した。
龍谷大平安戦では、ゆったりとした始動とステップの動きに注目した。これは渡辺1人にとどまらず、東海大甲府各打者に共通するタイミングの取り方である。龍谷大平安各打者があっさりと足を上げ(あるいはすり足で引き)、あっさりとステップに行くのとは違い、言ってしまえば東海大甲府にはバッティングに対する哲学・思想があり、龍谷大平安各打者は素質のまま、素のままで来た球を打っていた。
渡辺に話を戻すと、7回には3ボール1ストライクから投じられた真ん中高めの135キロのストレートを振り抜いてレフトスタンド中段近くに放り込み、9回には3球めの内角低めの143キロストレートをコンパクトにしっかりと叩き、投手の足元を激しく抜く中前打を打った。ホームランも凄かったが、このヒットのほうが攻略が難しいボールだった分、記憶に強く残った。
(文=小関順二)