塔南vs大谷
搭南 駒月仁人(4番キャッチャー)
成長の跡
『うまいリードだ』
見ていて思わず唸ってしまった。搭南の捕手・駒月仁人(3年)のことである。
搭南は昨年秋の府大会優勝校。しかし、近畿大会では初戦で報徳学園(兵庫)にコールド負けを喫した。
当時、[stadium]紀三井寺球場[/stadium]で、先制タイムリーとライトスタンドへの本塁打を放っている駒月。そのパワーと打撃の技術は近畿の高校球界でもトップクラスだ。ただし打撃の印象が強すぎて、リード面に関してはあまり印象深く残ってない。
それから半年あまり。この日の準々決勝では大谷と対戦した搭南。
マウンドにはエース粟津達也(3年)、そしてマスクを被るのは駒月。奥本保昭監督は「今日は絶対に勝ちたかった」と信頼するバッテリーを送り出した。
だが、そのエース粟津は絶不調。前日から体調を崩していたという右腕は、微妙な制球が悪く「もっとインコースを使いたかった」という駒月の思惑は外れることになった。4回まで7安打で4失点。粟津は打たれた。
エースが不調の時こそ捕手の真価が問われる。内角を思い切って使えず、苦心のリードになるかと思われたが、駒月は冷静だった。
必然的になる外角中心のリード。こう書けば簡単なように見えるが、駒月は実によく考えていた。
ただ外角に構えるのではない。内角に構えたように見せかけてサインは外角。あるいはその逆もある。『とにかく打者に考えさせたい』その意思が駒月の動きに表れていた。
そのことを試合後に聞いてみると、「それはいつも意識しています」。
その後の言葉にも驚いた。
「(成長したと思うのは)視野が広くなったと思います。バッターを見ることと、ネクストも見ること」。
打者を見る。捕手にとっては重要な要素。それ以上に駒月は次の打者のネクストバッターズサークルでの動きを観察しているのだ。ネクストでの何気ない動き、素振りの様子。それが全て情報となる。
事前のデータやVTRだけではわからなくても、ネクストで気づく。それが駒月の言う「視野の広さ」ということなのだろう。次の次まで観察することで、目の前の打者にどう攻めるのかも変わってくる。イニング全体、試合全体を考えて投手と野手を〝マネージメント〝すること。高校生では中々できないことなのだろう。
奥本監督は、「(駒月は)自分がこう攻められたら嫌だなとか、そういうことを考えてリードしている」と成長の跡を話してくれた。
駒月(搭南)
さて、この試合の大きなポイントも駒月の打席だった。
場面は7回のこと。搭南は先頭の2番上山凱武(3年)が相手のエラーで出塁した。打席は3番の笠舞一騎(3年)。大谷の青木翼(2年)と末國圭祐(3年)のバッテリーは、当然送りバントを頭に入れていたはず。
得点差は1点。ここで何としても追加点がほしい奥本監督が取った策は、笠の1球目で上山を走らせること。バントの構えを見せていた笠はバットを引き、上山は見事に盗塁成功。大谷バッテリーの上を行った。
その笠はレフト前ヒットで1、3塁の場面を駒月にプレゼントした。
タイムを取って相談する大谷バッテリー。もし、送りバントによる1死2塁なら駒月を歩かせる選択肢はあっただろう。しかし、無死1、3塁でその次が5番の粟津だということを考えると、ここでは勝負せざるを得ない。バッテリーはやはり勝負を選択した。
ストライク、ボール、ファウルの後の4球目。駒月が「狙っていた」というスライダーが甘く入って来た。迷わず振り抜くと、打球はセンターの頭上を超える二塁打。上山と笠が生還しリードは3点に広がった。
不調に苦しむエースの球を受けてきた女房役。「ここで打って決めたかった」と喜んだ。
8回にも1番向原翔(3年)の犠牲フライで4点差とした搭南。駒月のリードに立ち直った粟津は、5回以降1安打しか打たれなかった。
試合後、自身も前日に38度台の熱を出していたことを明かしてくれた駒月。
でも、「試合に集中していたので」とサラッと言ってのけた。根性も大したものだ。
奥本監督の「何としても勝ちたかった」という言葉の裏側。このわかさスタジアムであと2試合戦えることにある。
それだけに、この日エースを完投させての勝利は格段に大きいものだった。
(文=松倉雄太)