城南vs報徳学園
佐渡友怜王(報徳学園)
「城南、「吸収力」と「プラス思考」で甲子園初陣初勝利!」
「昨夜の寝つきはよかったです。今朝はちょうどよいくらいに目が覚めました。前回(2004年夏)、鳴門第一で甲子園に出場したときは僕自身、わけがわからなかったですが、今回は試合前に選手たちに説明しながら色々なことができました。やはり0と1の差は大きいですね」。
試合開始1時間15分前の3塁側室内練習場。取材陣の囲み取材に応じた森恭仁監督の表情は、昨秋徳島県大会・四国大会出場を賭けた準決勝・小松島戦(2010年10月02日)前のように「一度起きてシミレーションし始めたら眠れなくなり」目を充血させるようこともなく、センバツ21世紀枠に選出された直後、殺到する報道陣に見せたナーバスな表情でもなく、すっきりとしたものであった。
対照的に取材陣の囲み取材に対し、「いつもは具体的に話をしているのですが、今回はあまり情報を入れずに自然体でいきたい」と、緊張の面持ちを見せていた報徳学園・永田祐治監督。
そして、両指揮官が投影した気持ちのコントラストは、グラウンド上の両チーム選手にもスポンジが水を吸い込むように伝播していく。
たとえば、1回表・報徳学園遊撃手のエラーで徳島城南最初のランナーとなった2番・出口翔一郎(3年)は「あれだけ失策の少ないと聞いていた報徳学園がエラーしていたので、楽な気持ちになった」と語る。その後、7回裏に1点差に迫られた後、彼が二死1・2塁の場面でセカンドベース後ろの難しいセカンドゴロを「届かないと思ったが、体が勝手に動いて」うまく処理できたのも、この自らをプラス思考に考えられるようになった出来事が密接に絡み合っているといえるだろう。
また4回、1死1・2塁からの「初戦は動かした方がいいと思った」(森監督)ヒットエンドランのサインに応え、先制タイムリーを放った5番・奥浦康平(3年)はその場面における心情をこう振り返る。
「県大会準決勝のようにスクイズのサインが出ることも考えていました。でも、相手の田村(伊知郎・2年)くんはいい投手なので、スクイズは難しいとも思っていたんです。そこで監督からヒットエンドランのサインが出たので・・・気が楽になりました」。
こうなればチームが勢いに乗るのは自明の理。徳島城南は5回には出口、4番・竹内勇太(3年)のタイムリーで2点。1点差に迫られた6回にも「3月上旬に沖縄遠征ですごく速い野球と当たらせてもらっていい経験をした」8番・柳川慶太(3年)が、「彼らしい詰まった当りだった」と指揮官も褒め称えるタイムリーを放ち、再び報徳学園を突き放す。
加えて戦前はウィークポイントとされていたディフェンスでも、エース竹内が「僕はストレートが速いわけではないので、遅いボールを入れて少しでも速く見せるように」緩急を交えたピッチングで要所を締めれば、センターに入る多田康貴(3年)は「監督からは深めに守っていいと言われていましたけど、左右のポジショニングは竹内の配球やセンターポールを見て」巧みに位置をコントロール。
最終回に竹内が大会第8号となる3ラン(自身高校通算27号)を放ち、その裏に2点を失ったことでスコア的にはやや大味な格好にはなったが、大会屈指の右腕・田村を打ち崩した事実を含めても、彼らはほぼ満点の内容で甲子園初陣を勝利で飾ったのである。
試合後のお立ち台では開口一番「こんなことがあっていいのかというくらいの試合運び。できることをやりきりました」と語った森監督。その表情は一点の曇りもない試合中の甲子園の空のように実に晴れ晴れとしていた。