夏2回甲子園出場の古豪・城西大城西は大雨災害から復活したグラウンドとともに来るべき日を待つ
改修工事が完了している城西大城西グラウンド(写真提供=城西大城西野球部)
荒川河川敷の埼玉県との県境に専用グラウンドのある城西大城西。かつては1974(昭和49)年と、1979(昭和54)年夏には甲子園出場を果たし、79年にはベスト8に進出を果たしている。古豪と言ってもいい存在である。
実は、昨年秋の台風被害によって、グラウンドはほぼ水没してしまっていた。だから、秋は秋季大会後もグラウンドはほとんど使用できない状態だった。したがって、秋以降はチームとしての練習がグラウンドではできないままだった。そうして、改修工事を待っていた段階で、今回の新型コロナウイルス感染拡大防止で自粛となってしまった。そんなめぐり合わせの不運が続いた。
「グラウンドの改修工事は、結局5月になって終了して、見違えるくらいにいい状態になりました。本当は、グラウンド開けは健大高崎と試合組んでいたんですけれども、それが流れてしまいました。早く、新しいグラウンドでみんなで練習できるのが楽しみ」
そう言うのは、昨年に就任した山崎警監督だ。山崎監督は、川越商(現市立川越)から神奈川大から社会人の西濃運輸を経て、埼玉県の教員となった。飯能南、富士見、ふじみ野などを経て、請われて城西大城西へ異動。「これまでの東京都にはなかったようなタイプのチームを作り上げるのではないか」という期待は高い。
そんな期待を担いながらの2年目、「どんなチームに仕上がってきているのだろうか」という期待感が高かった。それだけに、今回の自粛で対外試合どころか、活動そのものがあまりできていないのは残念である。新入生も23人が入部してきて、「素材的にも、かなり高い能力で期待できそうな選手もいる」ということで、山崎監督自身も楽しみにしていた春だった。
学校としては、6月前半は出席番号の奇数と偶数に分けての分散登校。しかも、最初のうちは午前と午後で2時間ずつくらいということで、不十分な状態は否めない。通常に戻るのは18日以降ということだ。当然、部活動としても、そのあたりからようやく通常練習という形になっていくようだ。通常通りになれば火曜、木曜、金曜日は午後3時からはグラウンドに集合して練習できるようになっている。
それまでは、生徒たちが自主的に、やれる場所では少しずつやろうという形で進めていた。また、選手たちはオンラインミーティングをやっていくなどの対応をしていた。
5月21日からは学校のシステムでホームルームを行うなどの時間割が作られたことで、ある程度は時間拘束もできてきた。
山崎監督と選手たちとのLINEのやりとりの一部(写真提供=城西大城西野球部)
ただ、スポーツクラスで野球部はみな同じクラスなので、ホームルームから、そのまま部内ミーティングみたいな形になっていくことも多いという。それに、選手同士の繋がりもLINEなどでできており、動画を送付して、指導するやり取りも行っており、それほど心配はしていない。
また、トレーニングメニューに関しては、山崎監督とは富士見時代からの縁で、10年以上の付き合いになるという塚原謙太郎トレーナーがメニューを作って、それを選手たちに配信してくれている。身体強化用の「特別メニュー」なども作られていて、塚原トレーナーからマメに送られてきて、選手たちも意識は高められている。
「18人の3年生たちには、夏の大会は中止になってしまったけれど、(都高野連の)役員の先生たちが動いてくれて、代替大会を作ってくれたので、そこへ向けて頑張っていこう。みんな、同じ方向を向いてやっていこう、ということは伝えました」
山崎監督は、3年生たちからも、前向きな意見が多く返ってきているので、ベクトルは同じ方を向けていると感じている。また、1、2年生に関しては、「気持ちを入れ替えて、秋以降を目指して頑張っていこう」ということも伝えているという。全員揃ってからの練習は、まずは熱中症対策も含めて、安全対策から始めていくという。
「理事長からは、(もし代替大会もなかったら)神宮球場を借りて、どこか試合のできる相手を呼んできて締めくくってもいいということも言って戴けましたので、自粛中でも意識は上がっていました」
モチベーションは、十分維持できている城西大城西。今は、新装なったグラウンドで、1日も早く、いつもの活動に戻していきたいという思いである。
(取材=手束 仁)
関連記事
◆第18回 城西大城西陸上部「足が速くなりたいなら、正しいフォームを追求しよう」【前編】
◆1979年以来の甲子園出場へ!城西大城西(東京)
◆21世紀枠候補に選出された伊香(滋賀) 滋賀学園に金星をあげることができた理由【前編】