メジャーリーガー、甲子園出場監督が2名 2000年の鳥羽高校戦士から野球界功労者続々と
現在MLBの舞台で活躍する平野 佳寿(写真はオリックス時代)
今春の選抜大会、各地区の春季大会が開催中止となり、高校球児だけでなく、高校野球ファンものショックは大きかったのではないか。そこで、これまで甲子園を盛り上げたチームの選手のその後を紹介していきたい。
今回は2000年春夏連続出場を果たし、選抜ベスト4進出、選手権3回戦進出の活躍をみせた京都の鳥羽ナインの主な選手のその後を紹介する。
投手 谷口 豊 3年 (同志社大)
投手 古田 大将 2年(佛教大-明治安田生命)
投手 平野 佳寿 2年(京都産業大-オリックス-ダイヤモンドバックス-マリナーズ)
捕手 近澤 昌志 3年(大阪近鉄-東北楽天-リノ・シルバーソックス<北米独立リーグ>)
一塁手 里井 祥吾 2年(立命館大)現立命館宇治高校監督
遊撃手 竹内 寛史 3年(京都産業大)
左翼手 中井 賢次 3年(同志社大)
中堅手 市川 靖久 3年(京都教育大)現乙訓高校監督
マリナーズでプレーする平野 佳寿は高校時代、1年秋からベンチ入りを果たすも、3年間エースナンバーを背負うことはなかった。京都産業大に進学し才能が開花。通算通算36勝、404奪三振を記録し大学生ナンバーワン投手として、2005年のドラフトでオリックスに希望枠で入団した。オリックス時代は2017年にWBCを経験するなど、抑え投手として活躍。2010年にリリーフ転向以降、8年中、50試合以上登板。156セーブ、139ホールドを記録。そして、MLBに渡ってからは中継ぎ投手として活躍し、2年間で137試合に登板している。
正捕手の近澤 昌志は2000年ドラフトで大阪近鉄から3位指名を受け入団。2005年に分配ドラフトを経て東北楽天に移籍するも一軍出場機会なく戦力外通告を受ける。2006年にメジャー挑戦を掲げ、トライアウトに参加。北米の独立リーグ所属のリノ・シルバーソックスで2シーズンプレーし、現役を引退。
3年時、背番号1を背負った古田 大将は佛教大に進学。在学時は大学選手権大会、明治神宮大会に出場した。大学卒業後は明治安田生命野球部に進み、同部のマネージャーを務めた。
一塁手の里井 祥吾は立命館大学に進学し、3年時は全日本選手権に出場。卒業後、大手パン屋に就職しパン職人の道へ。しかし2006年に再び野球の道に戻る。立命館宇治のコーチを経て2015年には監督に就任。昨年に同校37ぶりの夏の甲子園出場を果たした。
主将を務めた市川 靖久は京都教育大に進学。教員免許を取り、2005年から10年間北稜で監督を務める。2015年から乙訓に異動。同校では2018年に春の甲子園出場を果たした。
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