阪神へと移籍した中田賢一は高校時代、無名の存在
八幡高校野球部イメージ
10月26日、ソフトバンクの中田賢一が阪神へ無償トレードで移籍することが発表された。
今シーズンの中田は一軍で1試合のみの登板に終わり、1勝も挙げることができず二軍で汗を流していた。しかし、故障していたわけではない。
二軍ではローテーションを守り21試合(95.1回)で6勝3敗、防御率3.02と最優秀防御率のタイトルを獲得している。二軍とはいえ、故障なく1年間を投げきり成績を残したことが、阪神の獲得を後押ししたことは間違いないだろう。
そんな中田は福岡県の八幡高校から北九州大学を経て、2004年ドラフト2巡目で中日に入団している。母校である八幡高校は1950年に選抜高校野球大会に出場したことはあるが、それ以降で全国大会への出場はない。
同校は、野球の強豪校というより進学校の側面が強く、元東京都知事の舛添要一氏も同校のOBである。そのため中田も春夏の甲子園を含めた全国大会への出場経験はなく、高校時代は無名の存在。高校3年時にドラフト指名はなく大学へ進学することになった。
北九州大学時代に中田の才能が開花する。早い段階でエース格となり、4年時には全国大学野球選手権へ出場。その後は日米大学野球の日本代表メンバーにも選ばれたほど。
当時の日本代表メンバーには、那須野巧(日本大学→横浜)、一場靖弘(明治大→楽天)、大松尚逸(東海大→ロッテ)、武内晋一(早稲田大→ヤクルト)らが名を連ねていた。現役でプレーしているのは、中田の他に井野卓(東北福祉大→楽天/現・ヤクルト)がいる。
中田は高校時代に無名の存在でも、大学時代に才能を開花させプロ入りを掴むケースの好例だろう。先日行われたドラフト会議でも、多くの高校生が指名漏れとなった。もちろん、プロ志望届を出していない球児も多い。そのなかにも将来的にNPBの舞台で光り輝く選手がきっといるはずだ。
独立リーグに進んだ選手は1年後、社会人野球の門を叩いた選手は3年後、そして大学進学を選択した選手は4年後にドラフトが解禁となる。もしかしたら、そのときに今はだれも知らないような選手の名前が読み上げられるかもしれない。
文=勝田聡