健大高崎vs利府
機動破壊だけではない!強打の健大高崎も垣間見えた一戦
11盗塁。
健大高崎は、大会1試合最多記録の13盗塁に迫る機動力を発揮した。
大会記録が達成された1953年。まだ今ほどのクイック、牽制、スローイングなどが重要視されている時代ではなく、どのチームも当たり前のように気を付けている現代の野球において、この数字は脅威といえる。
健大高崎の凄味はもはや大学・社会人、プロレベルのクイック、スローイングが出来ないとアウトに出来ないレベルの高さである。
初回、プロ注目の脇本 直人(3年)が盗塁を決めた時のタイムが3秒22。利府の先発・奈須野 聖也(3年)のクイックタイムは1.40秒前後。このタイムで刺すには捕手は理論上、1.8秒台のスローイングをしなければアウトにならないのだ。そして二塁手もなるべく早くタッチしたいので、二塁ベース上にストライク送球しなければならない。
捕手がプロレベルの送球をしなければアウトにならないのだ。
健大高崎の選手たちは、投手のクイック、モーションなどを見て走れると見たのか、出塁すればどんどん次の塁を狙う。なんと3回までに9盗塁。「機動破壊」と掲げる健大高崎の機動力を存分に発揮し、5点を先制した。
特徴的なのは犠打が1つしかないこと。
犠打が少ないのは、犠打で簡単にアウトを与えるよりも、盗塁を仕掛け、得点にする確率を高める狙いもある。ではいつ犠打を試みるのかというと、無死二塁の場面。健大高崎の選手たちに走塁を教え込んでいる葛原コーチがこう語っていたことがある。
「アウトひとつと引き換えに、例えばスクイズや犠牲フライ、内野ゴロで1点を取る場面を作らなければいけない。だから無死二塁ならバントしてもいい。一死三塁の場面を作ればアウトひとつと引き換えに得点できる場面が出てくるから」(野球部訪問・第99回 高崎健康福祉大学高崎高等学校より)
犠打を試みたのは3回裏、無死二塁の場面だった。
4番長島 僚平(3年)が犠打を試み、一死三塁として、その後、5番柘植 世那(2年)の適時打を呼び込んだ。
これほど走ると、投手だけではなく、内野手陣にも大きなプレッシャーを与える。
この試合、失策こそなかったが、11安打のうち内野安打は4本。全力疾走を徹底している健大高崎は、利府守備陣をじわじわと追い込んでいた。隙がないとは、このことをいうのであろう。
実は機動破壊以外にこだわっていたのが、打撃。
2011年夏、2012年春に出場した健大高崎は、全国レベルのチームに勝つために更なる打力の強化は、首脳陣の間で語られていたことだった。
前回の甲子園に出場していた選手たちは、走塁が目立っていたが、今の選手は走塁に加え、打力のある選手が揃う。
プロ注目の強打者・脇本に、下級生の時から強打を見せていた4番長島、右、左に打ち分け、4安打5打点の活躍を見せた強打の捕手・柘植。パワフルな打撃を見せる山上 貴之(3年)と振れる選手が揃っているのだ。当時の選手たちよりも、力強さを感じさせ、走塁と共にしっかりと力を入れていたのが伝わる。
そういう積み重ねが、昨年の甲子園優勝投手・高橋 光成(前橋育英)を打ち崩し、群馬大会を制すことが出来たのだろう。
全国レベルの好投手を打ち崩し甲子園出場を決めただけではなく、甲子園でも自慢の機動力を発揮した。とても充実感に満ちてプレーしているのではないだろうか。
まだ3回戦の相手は決まっていないが、この試合の11盗塁10得点を見て、最も対戦したくないと恐れられるインパクトのある試合内容であったことは、間違いない。
(文:河嶋宗一)
【野球部訪問:第99回 高崎健康福祉大学高崎高等学校(群馬)】