小松島vs生光学園
西口元気(小松島)
エースの「責任感」
(試合経過)
強打を売りとする両者が激突した準決勝。双方二桁安打を放った乱打戦を制したのは小松島であった。2対3の1点ビハインドで迎えた4回裏、1番・中村広樹(3年)の2点タイムリー3塁打などで
生光学園
先発右腕の木下雄介(2年)から3点を奪い逆転すると、5回には相手3投手から中村の2打席連続となる2点タイムリー3塁打など打者12人で6点、6回にも2点を追加し、7回コールドで昭和53年(1978年)1県1代表制度導入以来、7年ぶり3度目の決勝進出を決めた。
一方の
生光学園
は小松島を上回る12安打をエース左腕・西口元気(3年)に浴びせたものの、「余計な点を与えすぎた」(山北栄治監督)12与四死球、3失策に代表されるディフェンス面の乱れが大きく響く形に。7回「来た球を思い切って振った」3番・古川敬也(3年)によるライトポール直撃の大会第4号も実らず、悲願の初甲子園は後輩たちに託される形となった。
(インサイドコラム)
7回12安打6失点。小松島のエース西口元気(3年)はマウンド上でもがき苦しんでいた。開幕戦の海部戦では躍動感にあふれていたフォームは乱れ、ボールは走らず、ストライクを取りにいっては痛打を浴びる繰り返し。これまでの3試合で延長戦1試合を含む全29イニングをたった1人で投げ抜いてきた疲労は誰が見ても明らかであった。味方打線の大量援護で試合はコールドで終わったものの、1つ間違えば試合は逆の結果になっていたであろう。
それでも試合後、西口は一切の言い訳を封印。涙ながらに引き上げる
生光学園
の選手たちを見つめ「ええチームでした」と讃えた後、「僕らは4チームの想いを感じつつ甲子園に行きたい」と決勝戦への強い決意を再び示した。「秋の四国大会では岡豊(高知)から相手を下に見ないこと、春の四国大会では野村(愛媛)から我慢強さを学んだ」とこれまでも相手をリスペクトすることで成長を続けてきた左腕。その謙虚な姿勢は昨秋、今春に続く県大会全冠制覇がかかった決勝戦でも全く揺るぐことはない。
その決勝戦は準決勝翌日。疲労を完全に回復させることは難しいだろう。しかし最後に西口は最後にこう締めくくった。
「起用法は豊富(尚博)監督が決めることですが、僕自身は投げきりたいです」。
そう、その気持ちがエースの「責任感」である。
(文=寺下 友徳)
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生光学園 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1 | 6 | ||||||||
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小松島 | 0 | 1 | 1 | 3 | 6 | 2 | X | 13 |
生光学園:木下雄介、林佑真、黒川勇次、松本拓也、古川敬也-米田祐二
小松島:西口元気-川原央
(本塁打)生光学園:古川敬也(7回表ソロ・大会第4号)