坂出vs高松
エースが「後悔」を糧に誓った次への決意
この夏、負けを知らずに終わるのは参加した3985校中1校のみである。
すなわち他の3984校の球児たちは、大なり小なり何らかの悔いを残して高校野球の舞台を去っていくのであるのだ。ましてやそれが地方大会となれば、悔いの数はより大きく、多くなるもの。
この試合で敗れた高松の右腕・坂枝賢(3年)もその1人である。
今秋のドラフト候補遊撃手の兄・裕史(法政大4年)譲りのフルスイングに徹する多木裕介(3年)を切り込み隊長とし、香川大会屈指の強打線を擁する坂出相手に、130キロ前半のストレートと切れ味鋭いスライダーで対峙し、143球を投げ7安打4失点に封じた坂枝。
4回裏には失策で先制された直後に相手先発の辻優人(2年)にレフトオーバーの二塁打を許し、6回と8回には二番手投手の田内晴規(2年)に2つのスクイズを許すなど搆口秀敏監督が仕掛けた適材適所作戦に屈した形にはなったが、自責点はわずか1。
「調子が悪い中、粘り強く投げた」馬場博史監督の評価を聞くまでもなく、彼は持てる力を十分に発揮した。
それでも、試合後の坂枝は「夏は結果が全て。負けたら意味がないんです」と、ひたすら涙に暮れていた。
その訳は「中学生のとき(高松市立紫雲中)から秋季四国大会に出ていたのに憧れていて、入学してからも短い間だったけど、いろいろなことを学んだ」
辰亥由崇(現:東京大学野球部1年投手)から体得した「コースで抑える」持ち味を出し切れなかったことへの後悔から。そして彼はもう1つ、後悔の言葉を口にした。
「開会式で秦監督から『待っているぞ』と言われたのに・・・」
そう、2回戦でこの試合の勝者を待っていたのはこの4月から監督復帰した秦敏博監督が率いる高松北だった。
2011年3月まで15年間率いた高松監督時代は、松家卓弘(東京大→横浜→北海道日本ハム)を輩出し、05年の選抜大会では21世紀枠で72年ぶり(夏を含めれば71年ぶり)出場の偉業を達成。
甲子園では宇部商(山口)に2対6で敗戦するも、高松に中興の祖を築いた知将であることには変わりない。
加えて坂枝ら3年生にとって秦監督は高校野球のいろはを学んだ恩師である。その恩師と約束した場所に到達できなかった後悔。この言葉を口にした瞬間、坂枝の瞳からはまた涙がこぼれ落ちた。
「今後は僕も辰亥さんのように東京六大学野球でプレーしたい。そこで活躍することが、みなさんへの恩返しになると思うので、この悔しさを活かして大学では頑張りたいです」
帰り際に涙の中で新たな決意を誓った坂枝。ともすると「次はない」ことが多い現代社会にあって、後悔を糧に次への希望を語れるのは高校生の特権。
今は彼の決意が現実になることを願わずにはいられない。
(文=寺下友徳)