KENTA(修徳<東東京>出身・プロレスラー) 阿保 暢彦監督(現:松山城南<愛媛>監督) 「KENTA」は一生の教え子です
ジュニアヘビー級の身体でかつては世界最高峰のプロレス団体・WWEで闘い、昨年夏からは新日本プロレスに参戦。現在は試合後コメント・twitterも駆使してヒール道を貫きつつ、ここ最近では新型コロナウイルスの感染拡大防止のために居住地のアメリカからメッセージを送り続けるプロレスラー・KENTA選手。実はそのKENTA選手が東東京の名門・修徳で「元・高校球児」だったということは意外にも知られていない。
そこで今回は「恩師が語る」番外編としてKENTA選手の修徳時代に監督を務め、昨年4月からは松山城南(愛媛)で指揮を執る阿保 暢彦監督にKENTA選手のエピソードを電話取材で聴いた。
(注:今回、KENTA選手の本名はプロレスラーとしてのリングネームを尊重し掲載いたしません。ご了承ください)
冬に毎日筋トレを始めた彼の意思は「プロレスラー」
松山城南・阿保 暢彦監督
高校時代のKENTAは右打のサード。レギュラーというわけではなかったですが、メンバー入り当落線上にあってもベンチにいれば助かる選手でした。実際、2年の秋には試合でよく使っていた記憶があります。
そんなKENTAですが、2年の冬に大きな変化がありました。当時の修徳はウエイトトレーニングを2~3日おきにしていたんですが、彼だけは毎日ウエイトトレーニングをする。しかも、明らかに野球で付けてはいけない部位を鍛えているんです。今思えばその時に「プロレスラーになりたい」という意思が固まっていたんでしょう。
ただ、僕も当時は若かったので「それじゃあチームのためにならない」ということで、彼自身は悪い奴じゃなかったんですけど春以降は試合で使うことは一切ありませんでした。そしてKENTAは高校を卒業してそのまま全日本プロレスに入団。プロレスラーの道を歩んでいったんです。
KENTAの成長は嬉しい。そして「一生の教え子」です
それからずいぶん年月が経って、5年くらい前でしょうか。当時プロレスリング・ノアにいたKENTAから突然、僕に電話がかかってきました。要件は「選手を連れてぜひプロレスを見てください」。実際には都合が合わず選手を連れてはいけなかったんですが、その電話を受けた時、素直に「成長したなあ。大したものだなあ」と思いました。人間的に成長していたことがとても嬉しかったですね。
今、松山城南は休校措置中で野球部も練習はできていません。ただ、僕は練習が再開したら選手たちに言おうと思っていることがあるんです。それは勝つことより大事なこと。たとえば「練習をやれるだけでも感謝しよう」。周りの様々な人たちによって僕らは支えられている。その感謝の想いを改めて伝えようと思っています。
実は僕が今までKENTAを高校で教えていたことを明かすのは今回が初めてです。でも、その意味では自分が高校で教えた子が新型コロナウイルスの感染拡大防止のために「今は家にいろ」と発信していることも嬉しい。彼はもう一流選手なので、僕からアドバイスすることもありませんが、僕にとってKENTAは「一生の教え子」。これからも頑張ってほしいと思います。
記事=寺下 友徳