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第1141回 入学当初の実力は同学年でも下位。下慎之介(健大高崎)がドラフト候補左腕まで成長できた理由2020年03月20日
【目次】
[1]投球フォームで試行錯誤したが、2年春で自分にあう投球フォームを見つける
[2]球数制限は自分の投球レベルを大きく高めるきっかけになった
今年の健大高崎のエース・下 慎之介。長身から繰り出す140キロ前後のストレート、切れのあるスライダー、チェンジアップを武器に全国的な活躍を見せる大型左腕である。多くの好投手が集まる健大高崎だが、中学時代からエリートというわけではなく、同学年の投手では下からのスタートだった。
投球フォームで試行錯誤したが、2年春で自分にあう投球フォームを見つける

下慎之介(健大高崎)
2月中旬の取材日。
下のピッチングはエースを感じさせるものだった。強く踏み出してから、130キロ前半のストレートを投げ込む。シート打撃でマウンドに登れば、切れのあるストレート、スライダーで打者を翻弄する投球は見事だった。
そんな下の歩みを振り返ると、小学校2年生から野球をはじめ、佐野スラッガーズに入団。小学校時代は投手として活躍し、高崎ボーイズに入団するが、エースとして活躍したわけではなく、最速139キロ右腕・大塚玲生(健大高崎)のほうが実力は上だったと振り返る。健大高崎に進んだのも、高崎ボーイズの先輩がいたからだった。
入学当初は126キロ。同じ学年には侍ジャパンを経験した朝井 優太などがいて、「自分はベンチ入りできるかなと思いまして、この学年で、左腕は僕だけなので、そこを生かして辛うじてはいれるのかなと思っていました」
同期に追いつくために球速アップを課題に掲げ、トレーニングやフォーム改造に取り組むが、なかなか球速が速くならない時期が続いたが、2年生になって、ようやくヒントが見つかる。投球フォームの発想を変えたのだった。
「それまではスムーズな体重移動を意識して、足を上げたらすぐに下して、投げる癖がありました。そうではなくて、しっかりと右足を一本足で立ってから投げるように意識しました」
このように意識したのは、フォームについて考えているうちに1つ1つの動作を細分化しながら考えるようになった。足上げ、テークバック、リリース、フィニッシュ。その中で、最も大事になったのが、最初の足上げ。ここで右足をバランスよく上げてから投げることで、これまでにない感覚を得た下は一気にスピードアップ。
「2月夏までの練習試合は投げていくことに球速が上がっていく感じがありました」
2年夏の大会前の練習試合では最速138キロを計測。好投が認められ、2年夏はベンチ入りを果たす。
しかし初戦の高崎商大附戦でリリーフ登板したものの、相手打線の勢いを止めることができず、初戦敗退となった。
「この試合は、投げていた時は三塁側から相手のスタンドの応援の圧がすごくて、頭が真っ白な状態で投げていました。試合が終わったときは何かよくわからないままで、そしてベンチに戻った瞬間に泣いた記憶があります」
新チームはグラウンドが戻った後に始動。二度とこんなところで負けない気持ちを新たにスタートを切ったのであった。
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