「伝統校」の誇りと歴史を胸に戦う──100年以上の歴史を築きあげている高校野球。その中には幾度も甲子園の土を踏んだが、ここ数年は遠ざかり”古豪”と呼ばれる学校も多く存在する。

 昨年から導入された低反発バットや夏の甲子園二部制など、高校野球にも変革の時期が訪れようとしている。時代の変遷とともに変わりゆく中で、かつて聖地を沸かせた強豪校はどんな道を歩んでいるのか。『高校野球ドットコム』では名門復活を期す学校を取材し、チームの取り組みや夏に向けた意気込みに迫った。

強力打線は”戦後最強”の声も

「横浜スタジアムも憧れの球場でしたが、実際に甲子園に立つと景色が違いました。『ここは甲子園なんだ』という実感を持ちながらプレーできたことは最高の思い出になりました」

 法政二OBで1982年夏の甲子園に出場した絹田 史郎監督は現役時代をそう回想する。同校は1950年代に甲子園常連校として名を馳せた。60年夏、61春には巨人で活躍した柴田 勲氏らを擁し”戦後最強”と恐れられた強力打線で甲子園夏春連覇の偉業を達成した。当時法政二を率いていた田丸 仁監督が用いたバントやエンドランなど細かい野球を展開していく「ドジャースの戦法」は、後に巨人のV9時代でも取り入れられるなど、近代野球の先駆けとなった戦術でもある。

 その後は82年夏で21年ぶりに聖地への切符を掴むと84年春、88年夏と80年代は何度か聖地を踏んだ。しかし、輝かしい実績を残した名門も、今では「かつての強豪」となってしまった。

 全国屈指の激戦区・神奈川では横浜東海大相模が常に優勝争いを演じ、桐光学園慶応を加えた私学4強、公立校でも「Y校」で知られる横浜商や今春センバツ出場を果たした横浜清陵が虎視眈々と上位進出を狙う。群雄割拠の中で法政二は37年間夏の甲子園出場は叶わず、県ベスト8ですら2011年から遠ざかっている状況だ。

 学校としても2016年、男子校から共学に切り替わり、入試の難易度も上昇した。男女比が半々になったことで部員数も100人を超えていた時代から70人程度まで減少。絹田監督も「昭和の厳しい練習環境とは違い、限られた時間で自主性を重んじながら練習しています。今は辞める生徒はいないですし、勉強との両立を実現しながら高校野球をやっています。そういった中で結果を出せるチームになることも重視していかなければなりません」と試行錯誤しながら指導にあたっている。

武相の復活に刺激「いい意味でプレッシャー」

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