春季大会は甲子園に直接繋がらないものの、センバツ出場校の動向や夏のシード権獲得の行方など注目ポイントが多い。そのなかのトピックスの1つはスーパー1年生の誕生だろう。
特に今年はU-15代表が初となる世界一を達成。当時のメンバーがどの高校へ進み、どんな活躍をするか。その行方は早くから注目されていたが、早速話題を作ったのが、大阪学院大高・林 将輝投手だった。
プロ野球選手になるために激戦区へ
林の名前が大きく話題になったのは5月5日のこと。春季大会の5回戦・履正社との一戦だった。延長10回にマウンドへ上がり、2点を失って敗れたものの、最速143キロを計測するなどポテンシャルの高さを見せた。これにNPBのスカウトも将来性も含めて、評価する声が聞こえた。
林本人は履正社戦を含めて春季大会を振り返り、「自分しか経験できないことをさせてもらえたことは、次につながると思います」と内容以上に、同級生で唯一ベンチ入りして登板もできたことが大きかったようだ。
ベンチ入りを決断した指揮官・辻盛英一監督は「ピッチャーとしてのイメージが強かった」と前置きしつつ、その能力の高さに驚きがあったという。
「走攻守のどれを見ても一流。ですので、野手としての能力の高さに驚かされました。高校野球のレベルを体感したこともあって、体つきも少し成長してスピード感も出たり、発言もちょっとずつしっかりしてきました」
林は中学までは地元・北海道で過ごしてきた。U-15代表に選出されて世界一になったこともあり、道内問わず多くのチームから誘いを受けた。そのなかで「将来の夢であるプロ野球選手になりたかった」という基準の末に、大阪学院大高への進学を決めた。
「今は徐々にチーム内のルールを覚えてきたのもあって、『自主練を積極的に出来るチームだ』と感じていますが、当時は練習や試合を見ていて『ベンチの雰囲気がいい』と思いました。そんな先輩たちを見て、『ここなら将来の夢を追いかけられる』と思って入学を決めました」
北の大地から大阪へ。生きてきた中でも一番大きな決断だったが、「迷いはなかった」と優しい口調とは裏腹に、真っ直ぐな強い眼差しで断言した。
「自分の中で『夢を叶えるためなら、家を離れるのは仕方ない』と思っていました。家を離れることにあまり不安もありませんでしたので、『ここでやる、将来の夢のために勝負する』つもりで、大阪学院大高へ入学しました」
洗濯をはじめとした、これまでやってもらっていたことは自分でやらないといけない。実家にいる間は「あまりやっていなかった」というが「こっちに来たら自分でやらないといけないので、おかげで自立出来てきていると思う」と、少し笑顔を浮かべながら成長を噛みしめていた。
夢であるプロ野球選手に向けて、林はこれからも歩みを止めない。その道中には、ともに日の丸を背負ったU-15代表のチームメイトとの対決もあるだろう。「能力が高かったので、自分にとって刺激になった」と語るものの、「倒す気持ちが大事だと思いますし、早く対戦したい」とむしろ闘志を前面に出していた。
そこはやはり自身の夢のためだろう。
「チームは日本一になることが目標なので、そこに対して自分はピンチの場面で投げさせてもらえるように強い信頼感を勝ち取る。そのための個人の目標は、ピンチを抑えられるように誰よりも速いボールを投げて、一番いい投手になりたいと思います」
大阪桐蔭、履正社と大阪には2つの全国区の強豪がいる。ほかにも実力校が数多く存在し、全国制覇はおろか甲子園出場も簡単ではない。その激戦区に、林はあえて飛び込んできたといっていい。3年間厳しい戦いにもまれながらも、成長した先にNPBの道が続くことを期待したい。
この記事へのコメント
読込中…
まだメッセージがありません。
>> 続きを表示
まだメッセージがありません。
>> 続きを表示