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DeNAの正捕手として、プロ8年目を戦う山本 祐大捕手(京都翔英出身)。今シーズン開幕前には、2度目となる侍ジャパンに召集されて安打を記録するなど、球界を代表するキャッチャーとしても期待がかかるが、現在に至るまでは決して簡単な道のりではなかった。
京都翔英では最後の夏に甲子園出場をするが、卒業後は独立リーグに進む。厳しい環境に身を投じて1年。2017年のドラフトでDeNAから指名を受けて晴れてNPB入り。とはいえ呼ばれたのは9位指名。ドラフト全体で見ても本指名最後だった。
この歩みを山本本人はどう感じるのか。そして山本を支えたものは何だったのか。
必死だからこそ培われたハングリー精神
――京都翔英を卒業されてから、独立リーグ・滋賀ユナイテッドベースボールクラブで1年間プレーしました。その1年はどんな時間だったのでしょうか。
山本祐大(以下、山本):入団前に自分で調べていましたので、大体の環境は分かっていました。ただ実際に過ごしていると、また違う感覚がありました。毎日野球が出来る環境で、すごく楽しかったですし、レベルも高かった。ですので、非常にいい勉強になりました。
――独立リーグ時代の経験が現在に生きている経験はありますか。
山本:当時はBCリーグにチームが所属していたので、遠征では富山や石川、さらには信濃までバスで移動していました。ですので、ナイターの試合が終わってから車中泊をしながら滋賀まで戻って、深夜に到着することもありました。今振り返っても休んでいた記憶はあまりなくて、きつい瞬間はありましたが、毎日必死にやっていたからこそ、他の選手よりもハングリー精神はすごく強くなったと思います。
――その強さが、現在の山本選手を支えているのでしょうか。
山本:そうだと思いますが、独立リーグ時代より前から、そういう気持ちは大事にしていました。
京都翔英時代、自分は特別恵まれたポジションではなかったので、逆にエリートに対しては意識する部分はありました。なので、対戦するピッチャーはもちろん、チームメイト相手でも「絶対に打ってやる」という対抗心や雑草魂はもっていました。
そう考えると、自分の力の源はハングリー精神だったので、逆にそういった気持ちが無くなったら、自分は終わってしまうと思います。それは、これからも大事にしたいと思っています。