名門国立大生兼独立リーガーが西武5位指名! 宮澤太成が自ら「徳島インディゴソックスに入れて欲しい」と入団を願った理由<インディゴソックス ドラフト指名6人全員インタビュー③前編>
今年のドラフトで「11年連続指名」と史上最多の「同時6人指名」を成し遂げた四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックス。この圧倒的な実績はどこから生まれるのか。
今年指名を受けた6人のインタビューからその秘密に迫るこの企画。3人目は西武5位・宮澤 太成投手(長野高―北海道大)である。
「インディゴソックス同時指名6人組」の中で、阪神2位の椎葉 剛(島原中央-ミキハウス)の次に名前を呼ばれたのが、宮澤だった。武器は最速155キロのストレートと鋭く落ちるフォーク。豪快なピッチングが魅力の宮澤は、面白い経歴の持ち主だ。県内一の進学校・長野高から名門の国立・北海道大に入り、大学に在籍しながらインディゴソックスでプレーをして、1年でNPB入りを摑んだのである。
秀才はなぜ徳島を目指し、そこでどんな成長を見せたのだろうか。宮澤の軌跡をたどっていこう。
1日10時間の猛勉強
長野高のエースだった宮澤。3年夏、最後の試合が今も一番心に残っている。
「高校最後の夏、負けてしまった小諸商との試合です。エースだった高橋 聖人投手(明治大―ホンダ熊本)は完成度が高くていいピッチャーでした。彼を見て『自分の実力が全然足りない、レベルが違うな』っていうのはすごく思いましたね」
大学は、野球と学業の両立ができる学校を目指した。が、現役合格の壁は高かった。
「勉強もできて野球が強い大学を目指していたんですが、3年間、あまり勉強してなかったんで(笑)。授業は聞いてましたけど、家に帰って勉強とか一切していなかったので、浪人のときはもう勉強一筋でやってました。1日10時間、予備校にもほぼ毎日朝から通っていましたね」
その間、野球の練習はしなかった。
「寝る前の気分転換に、たまに軽いストレッチするぐらいでしたね。全然勉強をしてこなかったので、『今は勉強やらなきゃいけない』と思っていました」
猛勉強の末、合格したのは北海道大(以下、北大)だった。
「北大は、勉強はもちろん、2010年の全日本大学野球選手権大会でベスト8になっていて、野球でも頑張っていけるなと思い、志望校にしていたんです」
北大野球部の”自主自立”の精神が成長を支えた
宮澤が浪人している間に北大は札幌学生連盟の2部に降格していた。1部昇格を目標に掲げ、宮澤は大学野球のスタートを切る。コロナ禍もあって歯がゆい思いが続いた日々もあったが、大学野球を存分に堪能した。
「コロナで野球ができない期間は悔しさを味わいましたけど、『社会人でもプレーできる選手になりたいな』ってぼんやりと描いていたので、上手くなるためにどうしたらいいか考えて、楽しみながらやっていました」
大学2年時の2020年度は年間最多勝を獲得。21年秋のシーズンは4勝をあげ最高殊勲選手賞、最優秀投手賞、ベストナインを受賞した。1部の星槎道都大がコロナの影響で入れ替え戦を辞退したため、自動昇格による1部昇格の喜びも味わった。
2022年シーズンは主将としてチームをまとめた。球速も151キロにまでアップし、ドラフト候補右腕として騒がれるようになる。しかし、秋はケガの影響で登板は叶わなかった。
宮澤が北大野球部での日々を振り返る。
「北大野球部は、自主的で自分の思うようにできる場所。自分にマッチしていました。組織も選手自身が作っていきますし、個々の目標も、選手自身が決めて、自分で考えて、自分で行動する。ほんとに“自主自立のチーム”だったと思います。
自分の目標のために必要なことを練習できました。お金を貯めて東京まで来て、(外部の指導者から)色んなお話を聞いたりしていましたね。野球にどん欲で、あまり縛りもない。
チームメイトは頭の良さもありましたし、考える力のある選手がすごく多かった。本当に周りの選手からいい刺激を受けました」
宮澤にとって北大野球部は最高の環境だった。
独立リーガーという選択
こうして大学4年間が過ぎ、2023年を迎える。しかし、宮澤は大学生のままだった。高校時代のように「9割9分、野球中心の生活をしていた」という宮澤は2年時に留年していて、当時まだ大学3年生だったのだ。
規定により、大学5年目となる選手は試合に公式戦に出場できない。大学3年では就職して社会人野球の道に進むこともできない。
この1年、どう過ごすのか――。
そこで新天地として選んだのが、独立リーグだったのだ。もともと社会人野球を目指していた宮澤だったが、北大で結果を出すにつれ、徐々に気持ちが変化していたのである。
「プロを明確に意識するようになったのは(4年目の)3、4月頃。150キロ超えたぐらいのタイミングです。1つ目標にしていた数字を超えることが出来たので、もっとやれるんじゃないか、ここまで到達できたなら、プロを目指したいって思うようになりました。
色々調べていくうちに、大学に在籍しながら活動できることや、1年でプロにいける可能性がある独立リーグに魅力を感じるようになりました」
自ら「入団希望」を徳島に伝える
日本には7つの独立リーグ、30球団があるが、宮澤が選んだのはインディゴソックスだった。
「インディゴソックスのことは、だいぶ昔、中学・高校の頃から知っていました。『インディゴコンディショニングハウス』があって、球が速いピッチャーが多いぞ、みたいなことですね。それこそ『高校ドットコム』さんの記事で見たこともありましたよ(笑)。入団当時10年連続NPBに選手を出しているし、複数人指名されたりしていたので、プロに1番近い球団なのかなって感じていました」
独立リーグもNPBも入団するには、スカウトされる必要がある。しかし、宮澤は自ら徳島に入団希望を伝えた。
「僕、(新天地を)探し出したのが遅くて、12月ぐらいだったんですよ。春のあと、怪我してて、なかなか動けずにいたので。こちらから徳島さんにオファー出したら、快く入団を受け入れてくださってっていう流れです」
2023年2月、他の選手よりだいぶ遅れ「途中入団」という形で宮澤はインディゴソックスに入団する。もちろん独立リーグでの生活が厳しいのはわかっていた。だから「ダメなら1年で野球はやめる」と決めた。
「正直に言うと、内定をもらってた企業があったんです。すごい懐の深い企業さんで『プロ目指したいなら目指して欲しいし、もしプロ入りができなかったらうちに来て』って言ってくれました」
野球人生に背水の陣を敷いて、宮澤は徳島に向かった。
(取材・文 塩沢 風太)
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西武5位指名を受けた“北大生”独立リーガー「NPB入りのためのしたたかな戦略」<インディゴソックス ドラフト指名6人全員インタビュー③後編>
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