神村学園vs薩摩中央
神村学園の強さ
目の前で最大のライバルが敗れ去る。
「打倒・鹿実」を最大の合言葉に夏を迎えた神村学園にとっても、これはとてつもない衝撃だった。目先の目標が戦わずして消滅したことで、本来最大の目標であるはずの甲子園出場すら見失うことにもなりかねない。
この空気を察し、ナインに対して「鹿実の選手を見るな」ときつく言い聞かせながらダグアウトへ入っていったのは、他でもない神村学園・山本常夫監督だった。
「会場全体が異様な雰囲気に包まれた中で出て行くというのは、ちょっと嫌な感じがしましたね」
準決勝の鹿屋中央戦を制し、翌日の決勝に向けて気持ちの切り替えを図る選手たちだったが、どこか不思議な感覚のまま夜を迎えたのだという。
1番打者・白澤隼人の証言だ。
「最大の敵と見ていた相手が敗退すれば、普通であれば安心するはずなのですが、逆に怖くなってきたんです。鹿実は強かった。でも、それに勝った薩摩中央は、ちょっと“ヤバいぞ”と」
そんな不安に駆られた白澤は、決戦前夜にたったひとりで夜のグラウンドに飛び出していった。「バットでも振っていなければ、やってられない」という心境である。白澤は練習場の外野部分を往復し、立ち止まってはバットを振り、バットを振っては再び歩き出すという行動を繰り返した。どれぐらいの時間、それを繰り返したかは分からない。ただ、気がついた時には、バットを持ったチームメイトがひとり、またひとりと闇のグラウンドに増えていた。
薩摩中央の先発マウンドに、鹿児島実を4-2でねじ伏せた大立役者・崎山貴斗が上がる。打席には、眠れない夜を過ごした切り込み隊長・白澤が入る。
「当てにはいかない。とにかくいつもの仕事をするだけ。積極的に振り抜いて、今日も打線に勢いをもたらそう」
浮いたスライダーを振り抜くと、打球は凄まじい速さで右中間を真っ二つに割る。試合開始早々に白澤が放った余裕のスタンディングトリプルは、神村学園全体を覆っていた目に見えない呪縛を一瞬のうちに解いてみせた。
「これでいつもどおりの野球ができる」
ここで白澤は3番・坂口湧希の投ゴロに飛び出し本塁生還はならなかったものの、白澤の一撃によって目覚めた打線が初回に2点を先制。4回にはその白澤、坂口の三塁打など7長短打を集め5点を追加。たちまち甲子園行きを決めてしまったのだった。
準決勝までチーム打率・350以上を誇った打線は、打ちも打ったり16安打。小さな大エース・久保大星も被安打3の完投勝利。とくにスプリット、スライダーと縦方向への高速系変化が冴え、前日に鹿児島実を破った薩摩中央をまったく寄せ付けない完全優勝といっていいだろう。
昨秋は準々決勝で鹿児島商に7-8と競り負けたチームが、“鬼の居ぬ間”の春季大会で県制覇を成し遂げた。5試合で29得点3失点とぶっちぎりの内容で、エース久保の安定感も格段に成長。九州大会ベスト4まで進出した。
夏の前哨戦、NHK旗では春に対戦のなかった鹿児島実を4-2で破り優勝。そして、下馬評を上げに上げての夏優勝だ。春の九州大会で「神村学園には伸びシロがあるぶん、夏は怖いですね」と鹿児島実・宮下正一監督が語っていたとおりの、劇的躍進である。
じつは今年2月に初の沖縄合宿を行ない、野球漬けの毎日を送った神村学園。滞在中はチーム全体で昨年の春夏甲子園を連覇した興南の練習見学に訪れ、1時間半もの長時間にわたり我喜屋優監督から即席の野球講座を受けている。また、春夏連覇のメンタリティを育てた選手寮を見学し、そこでも我喜屋監督から「私生活がいかに野球に通ずるか」という講義も受けたそうだ。
「たとえば布団を必ず三つ折にたたむ。ご飯をひと粒たりとも残さない。これらができなければ、登校していようが選手を呼び戻し、できるようになるまでやらせる。なぜこうした指導が必要なのか。そこを細部にわたってご指導いただきました」(山本監督)
揺れる思い、いつもとは違う重苦しい空気の中で、いつもどおりに動いてみせる。眠れぬ夜を過ごしながらも、本番では果たすべき役割に没頭できる。これについては「自分に求められている仕事ができて満足です」と白澤が胸を張る。
沖縄遠征をきっかけに、もはや「特別なことを特別と思わない強さ」が、このチームには備わってきたのではないか。白澤が前日に感じた嫌な空気も、単に決勝を翌日に控えた高揚感によるものなのではないか。この推測が仮に的中していたとするならば、全国甲子園での上位進出も充分に期待できると言わざるを得なくなる。
(文=加来慶祐)