星稜、エースが完投し主将が逆転打!会心の試合運びで松井秀喜氏以来32年ぶりの優勝<明治神宮大会決勝>
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<第54回明治神宮野球大会:星稜3-1作新学院>◇20日◇高校の部・決勝◇神宮
一戦一戦力をつけ、決勝戦まで勝ち上がった星稜(北信越)と作新学院(関東)の決勝戦は、今年の高校野球の公式戦の最後を飾るにふさわしい好ゲームになった。
星稜は左腕の佐宗 翼投手(2年)、作新学院は右の本格派・小川 哲平投手(2年)が先発した。
作新学院の小針嵩宏監督が「立ち上がりは良くない」という小川哲は、先頭打者を四球で歩かせ、制球に苦しんでいる様子がみられたが、無失点に抑える。すると2回以降は投球にリズムが出てきた。
星稜の佐宗は制球とテンポが良く、2回に作新学院の5番・岩出 純捕手(2年)に二塁打を打たれたものの、危なげのない投球を続ける。
0対0の均衡が破れたのは4回、星稜の攻撃だった。3番・芦硲 晃太外野手(2年)、4番・萩原 獅士内野手(2年)という2人の強打者を打ち取り、ホッとした空気が流れた直後、5番の服部 航内野手(1年)が、右翼席に入る本塁打を放ち、星稜が先制した。
5回まで星稜・佐宗に2安打に抑えられていた作新学院は6回、2死後、2番・粒良 大輝内野手(2年)が内野安打で出塁すると、3番・小川 亜怜外野手(1年)の遊ゴロで二塁に進み、4番・柳沼 翔内野手(1年)が左前安打。打球が速く、左翼手の守備位置も浅かったこともあり、本塁はアウトのタイミングかと思えたが、柳沼が生還し、作新学院が同点に追いついた。
「強い気持ちで投げました」と語り、力投していた小川哲だったが、6回63球を投げたところで交代。7回からは、右横手投げの石毛 虹晴投手(2年)がマウンドに立った。
この試合の小川哲について、作新学院の小針監督は「変化球のキレとかコントロールは、いつもの小川より良かった」と語る。しかし投球のモチベーションなどを考え、交代時期と判断した。石毛は、7回を3者凡退に抑えた。しかし星稜は8回、この回先頭の好投している9番・佐宗が遊撃手の失策で出塁したかに思えたが、二塁に行きかけフェアエリアに入り、一塁に戻ったところをタッチされアウトになるボーンヘッドをしてしまった。
それでも、1番・吉田 大吾内野手(2年)が左前安打で出塁すると、星稜ベンチは勝負をかけて、2番・中谷 羽玖内野手(2年)にバスターエンドランのサイン。たたきつけた打球は右前に転がり1死一、三塁となる。星稜の山下智将監督が、「随分、練習してきました」という作戦が的中する。中谷は二塁に盗塁して二、三塁に。「エースの佐宗が踏ん張っていたし、1番、2番が作ってくれたチャンス、絶対に自分で還すという気持ちで打ちました」という主将で3番の芦硲が一塁を強襲する強い打球を放つ。これが2人の走者を還す適時打になり星稜が貴重な2点を勝ち越した。
2点のリードをもらった星稜の佐宗は、8回を3者凡退に抑えると、9回は安打1本こそ打たれたものの、無失点に抑え、3対1で勝利し32年ぶりの優勝を決めた。
32年前は後に巨人やヤンキースなどで活躍する松井秀喜氏がいた。大会は今日のやり方と異なり、地区の王者でないチームも参加するなど、文字通り秋の高校日本一を決める大会ではない。それでも、当時の監督は山下監督の父・山下智茂氏。これで監督として親子で優勝を成し遂げたことになる。試合後、山下監督は、「ここまでこられると思っていませんでした。実感がないです」と語ったが、攻守にスキがなく、優勝にふさわしいチームに育て上げたことは間違いない。
一方、敗れた作新学院の小針監督は、「関東の優勝チームとしての責任があるので勝ちたかったですが、県大会で1回勝てるかどうかのチームが、いい経験をさせてもらいました」と語る。
来年から新基準のいわゆる低反発バットに変わる。従来の基準のバットでの戦いは、この試合が公式戦では最後となる。低反発でないバットにしても、やはり守りが勝負のポイントになった。低反発のバットとなれば、なおのこと守備が重要になる。
高校野球に金属バットが導入されて来年で50年になる。金属バットの導入は、確かに高校野球を変えたが、新基準のバットで、また高校野球が変わるかもしれない。この決勝戦は、そんな時代の節目の熱戦でもあった。
取材・文=大島裕史