東京ヤクルトに所属する四国出身の3名の怪腕たちが野球人生の岐路に立つことに
高校時代の日隈 ジュリアス(高知中央)
11月になり、プロ野球は戦力外通告が発表される時期となってきた。プロ野球選手はアマチュア時代、各地で盛り上げてきた逸材だけに、通告を受けるのは寂しいものがある。2000年代後半~2010年代で四国を盛り上げていた逸材たちが野球人生の岐路に立った。
まず平井 諒(帝京第五出身)は最速147キロ右腕として、当時、愛媛県を代表する右腕・秋山 拓巳(西条出身)とともに注目された。2009年、東京ヤクルトからドラフト4位指名を受け、入団。最速154キロの速球を武器に、通算86試合に登板。通算5勝を上げた。
田川 賢吾(高知中央出身)が戦力外通告を受けた。高校時代は、最速148キロ右腕として注目され、東京ヤクルトから3位指名を受けた。ただ故障や不調で思わぬパフォーマンスを発揮できず、一時、育成選手になることはあったが、2018年に支配下登録に復帰。プロ初登板。2019年には一軍初勝利を上げ、今季は二軍で20試合に当番。37イニングで、41奪三振、防御率1.95、K/BBは4.55と、成績は申し分ないし、能力的にもまだまだやれると感じさせるものはある。
日隈 ジュリアス(高知中央出身)は沖縄北谷町出身の左腕で、2015年ドラフト4位指名を受け、東京ヤクルトに入団。昨年オフに行われたアジアウインターベースボールリーグで、防御率0点台の好投を見せ、期待を持ってシーズンに突入したが、10試合似登板し、防御率4.38に終わった。
果たしてこの3人の現役続行はなるのか。
(記事:河嶋 宗一)