トミー・ジョン手術した堀田賢慎はどちらに転ぶ? 巨人の「高卒ドラ1投手」は両極端
2019年ドラフト1位・堀田賢慎
巨人にとって2011年の松本竜也(英明)以来8年ぶりの「高卒ドラ1投手」でもある堀田賢慎(青森山田)。原辰徳監督が、「近々未来、ジャイアンツでエースになってくれる素材」と大きな期待を寄せれば、本人も「3年目までにローテーションに入って10勝以上」と当面の目標を立てており、意気揚々と1年目を迎えるはずだった。
しかし新人合同自主トレ時に右肘の痛みを訴え、4月に入ってからトミー・ジョン手術を受け今年の復帰は絶望的。現在はリハビリを行っている段階である。
さてここで、巨人における過去の「高卒ドラ1投手」を振り返ってみると、チームを支えた投手たちの名前がずらりと並ぶ。
第1回となった1965年のドラフト1位では堀内恒夫(甲府商)を獲得。堀内は1年目の開幕から13連勝をマークするなど、16勝2敗、防御率1.39という凄まじい記録を残し新人王はもちろん、沢村賞も受賞した。その後もエースとして通算203勝を挙げている大投手である。
その後、1980年代には10年の内6回に渡ってドラフト1位で高卒の投手を獲得した。槙原寛己(大府/1981年)、齋藤雅樹(市川口/1982年)、水野雄仁(徳島池田/1983年)、桑田真澄(PL学園/1985年)、木田優夫(日大明誠/1986年)、橋本清(PL学園/1987年)である。
槙原、齋藤、桑田の3本柱をはじめ、活躍した年度や実績こそ違えど、1980年代後半から1990年代にかけてのチームを支えてきた面々であることは誰しもが認めるところだろう。
しかし、1990年代以降の高卒ドラ1投手たちは結果を残すことができなかったのが実情だ。堀田をのぞくと、谷口功一(天理/1991年)、真田裕貴(姫路工/2001年)、辻内崇伸(大阪桐蔭/2005年高校生)、松本竜也(英明/2011年)の4名が期待を背負って入団したが、白星をマークしたのは真田しかいない。そのうち辻内と松本のふたりは、一軍の登板機会を勝ち取ることもできなかった。
同じ「高卒ドラ1投手」でも球史に残る存在となった投手もいれば、一軍での登板がないままユニフォームを脱ぐことになった投手もいる、ということがよくわかる結果になっている。
はたして堀田はどのようなプロ野球人生を歩むのだろか。堀内や3本柱のような活躍を見せてくれることを期待したい。
<巨人の高卒ドラ1投手>
1968年:島野修(武相)
1970年:湯口敏彦(岐阜短大付)
1972年:中井康之(西京商)
1974年:定岡正二(鹿児島実)
1979年:林泰宏(市尼崎)
1981年:槙原寛己(大府)
1982年:斎藤雅樹(市川口)
1983年:水野雄仁(徳島池田)
1985年:桑田真澄(PL学園)
1986年:木田優夫(日大明誠)
1987年:橋本清(PL学園)
1991年:谷口功一(天理)
2001年:真田裕貴(姫路工)
2005年:辻内崇伸(大阪桐蔭)※高校生ドラフト
2011年:松本竜也(英明)
2019年:堀田賢慎(青森山田)
(記事:勝田聡)