杉内俊哉が現役引退、高校時代には県内にも強力なライバルがいた!
9月に入り、「松坂世代」と呼ばれる1980年生まれ世代(1980年4月2日〜1981年4月1日生)の村田修一(BC栃木)、後藤武敏(DeNA)、杉内俊哉(巨人)が相次いで引退会見を行った。
木佐貫と投げ合った高3の春夏
杉内俊哉
杉内は鹿児島実業時代に夏の甲子園でノーヒットノーランを達成し、一躍、名前は全国区となった。大会終了後に開催されたアジア選手権にも日の丸をつけて出場を果たしている。それほどの実力がある杉内だが、けっして鹿児島県内で無敵だったわけではない。
強力なライバルがいたのである。鹿児島川内のエース右腕・木佐貫洋だ。
1998年の春季大会では決勝で鹿児島実業と鹿児島川内が激突。この試合で木佐貫は杉内に投げ勝っているのである。この二人は夏の鹿児島大会決勝でも再び相まみえることになる。この試合では杉内が雪辱を果たし、甲子園への切符を手に入れたのである。
勝負に「たら、れば」は禁物だが、夏の鹿児島大会で木佐貫が投げ勝ってたら、別の物語が生まれていたのかもしれない。
その後、杉内は三菱重工長崎からダイエー(現・ソフトバンク)へ、木佐貫は亜細亜大を経て巨人へと入団する。所属するリーグが違うこともあり、対戦する機会はなかなか訪れなかった。
初めてプロで投げ合ったのは2013年5月20日に行われた日本ハム対巨人の一戦だった。思い出の鹿児島ではなく、[stadium]札幌ドーム[/stadium]の試合だ。実に高3の夏から15年の月日が過ぎており、杉内は巨人へ、木佐貫はオリックスを経て日本ハムへと所属球団を移しての対戦だった。
この試合では木佐貫が7回1失点、杉内が8回完投2失点と高校時代を彷彿させる内容で木佐貫に軍配が上がる。15年ぶりに木佐貫は杉内にリベンジを果たしたのだ。
それ以降は対戦がなく2015年に木佐貫が現役を引退。2016年からはスカウトとして巨人に戻ってきた。杉内は一軍での登板機会こそなかったが、3年間ふたりは紛れもなく“同僚”だったのだ。
杉内が今後どのように活動していくのかは、現時点で明らかになっていない。もしかしたら、第2の人生は高校時代のライバルとフロントからチームを強くすることになるかもしれない。
(文:勝田 聡)