叩き上げの速球派左腕・長谷川宙輝(東京ヤクルト)。高校時代の恩師も絶賛する「自ら考えて努力する姿勢」
聖徳学園時代の長谷川宙輝
福岡ソフトバンクから東京ヤクルトに移籍した高卒4年目の速球派左腕・長谷川宙輝(聖徳学園出身)は、ブルペンで快速球を披露している。聖徳学園はもともと関東高で、代表的なOBは江藤智が挙げられる。当時の関東高と現在の聖徳学園では、環境が大きく変わった。江藤のときは野球に対して力を入れていたが、1991年の校名変更を機に進学重視に切り替えた。今では学校近くにグラウンドはあるが、内野ほどの広さしかない。
では長谷川はその環境下でどうレベルアップしたのか。聖徳学園の中里 英亮監督からまず体づくりを進めあれ、1日5合のごはんをたべ、投球練習の前にバランス作り。空のペットボトルを頭にのせたまま足上げを行い、そして肩甲骨を柔らかくするための体操、体幹トレーニング、インナーマッスルと、野球選手としての基礎を作っていった。
ピッチング練習は少しでもバランスを崩す動きが見られれば、即座にピッチング練習を辞めさせ、バランスづくりに徹した。そうしなければ故障のもとにつながるからだった。
長谷川も公式戦を重ねるごとにさらに上手くなりたいと意欲的になり、入学当初は中里監督主導の指導だったが、徐々に長谷川主導で練習に取り組むようになった。その後、140キロ中盤の速球まで投げ込む左腕にまで成長。育成枠ながらプロ入りの夢をかなえた。当時、中里監督は長谷川の姿勢をこう称えていた。
「長谷川の何が凄いかといえば、自分のためになる練習をコツコツとできること。今は練習メニューは任せていますけど、あれをうちの環境で続けられるということが素晴らしい。
うちは23人しかいないので、強豪校と比べると競争が少ないんです。競争があるとそれに引っ張られて必然と取り組むものですが、競争が少ない環境でコツコツと取り組むのは難しいんですよ。それになかなか勝てなかったから、モチベーションを保つのは厳しいはず。
そこに負けてしまうとその程度の選手になってもおかしくない。でも長谷川は自分に何が必要なのかというのを見極めて練習に取り組むことができたんです。だからここまできた。それは本当に尊敬します」
だからこそ長谷川は三軍制を設け、競争が激しい福岡ソフトバンクでも直向きに取り組むことができて、最速150キロまで球速を伸ばしたのだろう。
見ている人は見ている。東京ヤクルトでは支配下登録選手として入団できたのも、長谷川の潜在能力、姿勢の良さを評価されているからではないだろうか。
現在、一軍キャンプで打撃投手を務め、持ち味の迫力ある速球を投げ込む長谷川。高校時代、叶えられなかった神宮のマウンドで躍動する姿を目標に、アピールを続ける。
(記事=河嶋 宗一)
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