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野球殿堂入り・黒田博樹氏 恩師が語った高校時代「クロは野球選手の鏡だった」

2024.01.20


黒田 博樹

18日、現在広島で球団アドバイザーを務めている黒田博樹が殿堂入りすることが決定。同じく殿堂入りした谷繁元信とともに、野球殿堂博物館にて開催された通知式に出席した。

上宮、専修大と経て広島へ入団すると、1年目から1軍のマウンドに上がる。2005年には15勝で最多勝、さらにはベストナイン、最優秀投手、ゴールデングラブの4冠を達成。2006年には防御率1.85の成績で最優秀防御率を記録して、2008年にメジャーへ移籍。日米通算203勝の記録を打ち立てて、2016年に現役引退。背番号15は永久欠番になるなど、まさに球界が誇るレジェンドの1人として、活躍し続けた。

そんな黒田だが、上宮時代は控え投手で、登板機会はあまりない。大学から一気に活躍してNPB入り、そしてメジャーへの階段を駆け上がっているのだ。
一体、黒田はどんな高校時代を過ごしてきたのか。高校時代の監督である田中 秀昌に聞いた当時のエピソードを再構成してお届けしたい。

(インタビュー初掲2015年11月8日)
――――――――――――――

唯一の実績は2年秋の近畿大会 控え投手で終わった3年間

元南海ホークスなどでプレーした黒田 一博氏の息子である黒田 博樹
中学生の時は父親が監督を務めるボーイズリーグ「オール住之江」でプレーしていた。そんな黒田は元木 大介(元巨人)など名だたる選手が甲子園で躍動し、1989年選抜で準優勝した上宮に入学を決める。

しかし、この世代の上宮は錚々たる選手が揃っていた。
まず黒田の1学年上は、日本ハム、阪神でプレーした中村 豊、MLBのロイヤルズでプレーし、主に千葉ロッテマリーンズのセットアッパーで活躍した薮田 安彦選手がおり、同級生には西浦 克拓選手(元日本ハム)、筒井 壮選手(元阪神)、溝下 進崇選手(大阪ガスコーチ)と名だたる逸材が多かった。そんな布陣に、黒田が入り込む余地はなかった。

入学当時はコーチで、黒田の2年秋から監督に就任した田中監督は入学当初は「長身だったけど、ほっそりとしていて練習についていけるか、不安でした」と語るほどだった。だが田中監督が目を惹いたのは練習に取り組む姿勢と学校生活の姿勢の良さであった。

「僕は結構走らせていたけど、クロ(黒田)は自分から走ったり、投げ込みをするなど、人一倍努力ができる姿勢がありました。僕は同時に教師をやっていたのですが、クロの授業に取り組む姿勢も野球部員の中では誰よりも良かったですね」
と当時を振り返る。

新チームになっても黒田の登板機会はなかなか訪れなかった。エース格として投げていたのは、西浦と溝下の2人。西浦はプロ入り後は野手として活躍するが、当時は145キロ前後の速球とスライダーを投げる本格派右腕。溝下は安定感抜群でしっかりとゲームを作れて、度胸溢れる左腕。
黒田は長身から勢いある直球とスライダーを武器にする投手であったが、黒田のスピードを上回るのが西浦で、安定感においては溝下の方が上だった。さらに西浦、溝下ともに野手としての能力も高く、必然と起用するのは西浦か溝下になっていた。

そんな中でも、黒田が輝いた時期が1991年秋である。当時、直球の制球力に苦しんでいた黒田だったが、近畿大会を前に調子を上げていく。
ストレートのキレ、コントロールも安定感があり、これは投げさせられると判断した田中監督は黒田を近畿大会準々決勝の和歌山日高戦でリリーフ登板させる。すると黒田は無失点の好投を見せ、さらに準決勝のPL学園戦でも好継投。決勝進出を決めると、決勝では天理に敗れたとはいえ、この試合でも途中登板で好投を見せ、自信を掴んだ大会でもあった。

しかし近畿大会準優勝ということで、センバツに近づき、甲子園デビューも間近と思われた矢先、学校内で不祥事があり、選抜推薦を辞退することになってしまった。当時の上宮の選手からすれば、じくじたる思いがあったかもしれない。
黒田の甲子園出場は幻に終わった。

秋の近畿大会では上り調子だった黒田だったが、「そこから調子を落としてしまったようだった」と田中監督が語るように、最後の夏は西浦と溝下の2人が中心となり、黒田は目立った活躍もできないまま、夏を終えた。
かくして高校時代は控え投手で終わった黒田だったが、田中監督は黒田の取り組む姿勢を高く評価していた。
「野球、私生活においてもとにかく一生懸命、真面目に取り組める選手でした。そういうところが大学時代に素質を開花させたのかなと思います」と振り返る。

恩師が語る黒田 博樹の義理堅い人間性

夏が終わり、黒田は東都大学野球連盟に所属する専修大進学を決意する。
専修大には黒田と仲の良い先輩投手がいたこと、また両親からよりレベルの高い関東で勝負してほしいという希望があったこともあり、進学を決意した。そして専修大入学後、黒田はメキメキと実力を付けていった。その成長ぶりは帰郷のたびに高校に顔を出し、バッティングピッチャーなどをする姿から田中監督も実感していた。

「リーグ戦が終わった後にクロが投げてくれるんですが、だんだんボール自体が凄くなっているんですよね。諦めずにやってきてよかったなと感じますね」

黒田は3年秋に日本大との入れ替え戦に勝利し東都一部復帰を決め、4年は春秋通し東都一部でプレー。
最速150キロを計測する剛腕投手としてスカウトからの評価を高めていった。

当時のドラフトは逆指名制度があり、選手が球団を選べる制度だった。
黒田は広島東洋カープを選び、入団を決める。広島の入団に際して、田中監督は「高校時代を知る我々からすれば、クロがプロへ行くなんて快挙なんですよ。それも2位で。私は嬉しくて嬉しくて、新品のグラブを彼に送りました」
そのグラブには「闘魂 黒田博樹」と刺繍がされていた。

そしてプロ入り後、黒田の義理堅い人柄が明らかになってくる。

1997年4月25日、黒田はプロ初登板で快挙を成し遂げる。巨人戦に先発した黒田は、自慢の速球を武器に強力・巨人打線を1失点完投。当時、広島の新人投手が初登板初完投勝利は球団4人目だったが、巨人戦では初の快挙だった。
この快挙にスポーツ紙が黙っているわけはなく、多数の紙面で大きく取り上げられた。そしてあるスポーツ紙では選手の宝物を挙げるコーナーがあったのだが、この勝利の翌日はもちろん黒田が取り上げられていた。そしてその時、黒田が宝物としてあげたのが前述のグラブだったのだ。

田中監督からすれば非常に嬉しいエピソードである。監督がそのことを知ったのは、黒田の母・靖子さんからの手紙だった。
「お母様から手紙とその新聞の切り抜きを私に送ってくれたんです。手紙には達筆な字で感謝の思いがつづられており、そして新聞の切り抜きが添えられてありました。そこまでしなくてもいいじゃないですか。でもその心遣いが嬉しかったですね」

黒田の母である靖子さんは体育教師で、黒田を厳しく育てた方として有名だ。しかし、そのしつけが、今の黒田を築いたと田中監督は語る。
「クロの素晴らしい人間性、義理堅さというのはお母様の教育によってできたものだと思います。お母様は本当に素晴らしい方でした」

黒田は2005年にリーグ最多勝を挙げたのだが、その年のオフ、地元のローカル局が黒田のアマチュア時代を取り上げる、という企画があった。
その時、黒田が高校時代の思い出の場所としてあげたのが、上宮高校のグラウンドの近くにある科長神社だった。そこは階段の段数が多く、投手にとっては格好の練習場となっていたのだ。案内人として取材に協力し、その話を聞いた田中監督は「あいつの高校時代は走ることしか印象になかったのかな」と笑った。

またその取材中、突然田中監督に黒田から電話があった。
「監督、すいません。こんなことに協力してくれて」という謝りの電話だったが、田中監督は「いいんだよ!こんなことでいいなら何でも協力するから!」と言って電話を切ったという。
その姿を見ていたテレビ局の人は田中監督に、「黒田さんは我々、マスコミを大事にしてくださる方で、人間性も本当に素晴らしい方です。多くの方々がそう思っています」と声をかけた。

「そう声をかけられたときは本当に嬉しかったですね」と振り返る田中監督。

黒田の義理堅いエピソードをもう1つ紹介しよう。
田中監督が東大阪大柏原高校の監督時代、2011年に夏の甲子園出場を決めた。すると、黒田から全部員分のTシャツが学校に送られてきた。
背中には「苦しまずして栄光なし!」という言葉が刻まれていた。これは黒田の座右の銘である。このプレゼントに感激した田中監督と東大阪大柏原の選手たちは、そのお返しとして、ビデオレターを送ったという。

野球を通じて、人間性が大事だということがよく語られるが、他人を気遣った行いとお礼が何気なくできる黒田の姿勢は球児だけではなく、我々も見習うものがある。

教え子にはやはり健康な体でプレーしてほしい

黒田は日本で103勝を挙げてMLBに渡り、2008年から2014年までの7年間で79勝、2014年オフに広島東洋カープに復帰した。今年は11勝を挙げ、ローテーション投手として期待通りの活躍を見せた。
ここまでの活躍を振り返って、田中監督は「素晴らしいの一言!」と絶賛し、とくにMLB時代、大きく故障することなく、先発ローテーションを投げ抜いたことを評価していた。

「クロがメジャーに行っているとき、私も見に行く機会があったのですが、MLBの先発投手は中4日で投げるというのはよく言われますが、日本と違って日数だけではなく、チームに帯同しながら調整をしないといけないんです。だから試合中、クロがボール拾いしている姿を見ましたよ。アメリカは時差があるので、中3日という感覚で投げることもあるようです。クロも「かなりきつい」と言っていましたよ。でも弱音を吐かず、投げ続けた。本当に大したものですよ。弱音を吐かずにコツコツと取り組む姿勢は高校時代からあったものだと思います」

また田中監督の長い指導者生活の中で、高校時代控えだった選手が、プロ入りして活躍したのは黒田しかいないようだ。
「まさに野球選手の鏡と呼べる選手だと思います」

この記事の執筆者: 田中 裕毅

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