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前田三夫(帝京前監督)①「知られざる監督就任エピソード」

2021.12.25

辞める時はスパッと

前田三夫(帝京前監督)①「知られざる監督就任エピソード」 | 高校野球ドットコム
2021年夏まで帝京を50年間率いた前田三夫監督

前田三夫(帝京前監督)①「知られざる監督就任エピソード」 | 高校野球ドットコム名監督列伝・前田三夫(帝京)
■第1回
「知られざる監督就任エピソード」
■第2回
「夏の全国制覇を勝ち取るまでの修行期間と大胆改革」
■第3回
「自主性とのジレンマ、胸が踊った2006年夏」

 異常な長雨とコロナ禍で、第103回全国高校野球選手権大会の決勝が行われたのは、史上もっとも遅い8月29日だった。同じ日。東京の強豪・帝京を50年間率いた前田三夫監督が、部員たちを集めて勇退したことを告げた。

「監督として今年で50年。ひとつの節目ということで、この夏の大会をもって監督は終了します。人間には節目というものがある」

 甲子園で準決勝が行われた28日は、秋季東京都大会の選手登録締め切り日だった。帝京は、前田監督の教え子である金田 優哉コーチを監督とした名簿を提出。甲子園開催中に水を差したくないと発表を控えていたが、大会が延び延びになったことで、名将の勇退が明らかになったわけだ。実はね、と前田さん。

「2020年の夏は甲子園が中止になったけど、東京の独自大会で優勝したでしょう。そこを、きれいな引き際にしようと思っていたんです。だけど学校側が『最後に、もう一度甲子園に挑戦したらどうか』といってくれた。21年がちょうど監督になって50年目という区切りでもあるし、よし、それなら……と腹を決めた。そして引くときは、後進のこともありますから部員にも告げずにひっそり、スパッと、と考えたんです」

 現在は帝京の名誉監督として、ときにグラウンドで練習を見守ったり、Bチームを相手に名人級といわれるノックを打ったり。ほぼ半世紀にわたった指導の第一線からは一歩、距離を置く。ただ、解説として招かれた神宮大会などを見ていると、体はうずいた。大会期間中には、やはり解説陣の高嶋仁・智弁和歌山前監督、明徳義塾・馬淵史郎監督らと食事もした。

「高嶋さんもお元気だけど、やっぱり現役の馬淵さんが元気(笑)。私もトレーニングはしていますし、まだまだ元気ですけど、いま思うと、チームを率いているという緊張感はたまらないものでした。それがまた、違う次元の元気の素だったのかもしれず、そこは多少の寂しさはありますね。だけど、いろいろな方から『もったいない』という声もいただきましたが、けじめをつけたのは自分自身ですから、割り切っていますよ」

[page_break:就任当初はまさにイノシシみたいだった]

就任当初はまさにイノシシみたいだった

前田三夫(帝京前監督)①「知られざる監督就任エピソード」 | 高校野球ドットコム
前田三夫監督(帝京)*2019年秋季都大会 日大三戦より

 甲子園通算51勝は歴代5位タイ。1989年夏の初優勝を皮切りに、92年春、95年夏と、3回の全国制覇がある。だが、2011年の夏を最後に甲子園から遠ざかったままの勇退となった。この夏の東東京大会前に出向いたとき。こんなにも甲子園から遠ざかるのは、就任から初出場までを含めても最長になりましたね……と水を向けると、

「最後は地力とメンタルの勝負になるんだけど、大きな舞台を経験していないと、ホンモノのメンタルの強さ、あるいはガツガツした欲がついてこないんですよね」

と話していたものだ。今夏の東東京では、準決勝で二松学舎大附に2対4で敗戦。それが最後の采配となった。いまにして思うと大会前、前田さんからはそれこそ「ガツガツしたもの」があまり感じられなかった。たとえば大学を卒業してすぐ、72年に監督に就任したころは、本人曰く「イノシシみたいなものだったよね」というように、わき目もふらず猪突猛進するのみだったのだ。

「72年の1月15日だったかなぁ。大学を卒業する前、監督に就任する挨拶で、部員たちに”みんなで甲子園に行こう!”とぶち上げたら、彼らは爆笑ですよ。こっちは張り切っているのに、もう頭に血が上って、翌日からの練習はスパルタもいいところです。”やる気がないならやめちまえ”という感じ。そうしたら本当に1人、2人とやめていって、1週間で6人に、2週間もしたら4人になっちゃった」

 2週間で部員が4人になったのはよく知られた話だが、就任までのプロセスもなかなか興味深い。まずは、前田さんが帝京の監督になるまでを振り返る。

[page_break:帝京高校の練習手伝いがすべてのスタートに]

帝京高校の練習手伝いがすべてのスタートに

前田三夫(帝京前監督)①「知られざる監督就任エピソード」 | 高校野球ドットコム
前田三夫監督(帝京)*2019年秋季都大会 創価戦より

 千葉県袖ケ浦市、半農半漁の家の三男として育った。49年6月6日生まれ。物心ついたころには、郷土の英雄・長嶋 茂雄にあこがれて白球を追っていた。木更津中央(現木更津総合)3年だった67年夏、千葉の準決勝まで進んだが、成東に敗れて東関東大会進出(まだ1県1代表ではなく、千葉と茨城で1代表を争っていた)はならなかった。1対3。成東の遊撃手が、のち阪神で活躍した中村 勝広で、木更津の1点は、一塁を守った前田さんのスクイズだったという。ちなみにこの夏、東関東から甲子園に進んだ習志野は、全国優勝を果たしている。エースの石井 好博は、のちの75年夏、母校の監督としても優勝。現在のところ、優勝投手にして母校を率いて優勝しているのはこの石井だけだ。前田さんとは中学まで、同じ房総地区でしのぎを削っていた。

 高校卒業後の前田さんは、東京・小平市にあるブリヂストンへの就職が決まっていたが、縁のあったスポーツ用品店から「帝京大の野球部が選手を募集している」と聞いてセレクションに参加する。帝京大は66年に創部し、67年秋に初めて首都大学リーグ2部に参入したばかりの新興チームだ。前田さんはそのセレクションに合格し、野球部の3期生として帝京大に進むことになる。68年のことだ。

「高校も3期生で、名前が三夫で、3には縁があるんですよ(笑)。ただねぇ……大学に入ったはいいものの、当時はグラウンドもなく立川、府中、八王子……と練習場所は日替わりです。上級生は2学年しかいなかったけど、だから逆に、上下関係は厳しかった。それでも、入学した年の春には2部で優勝して、秋からは1部。3学年しかいなくてそれだから、そこそこ強かったんでしょう。私はベンチにも入れませんでしたけどね。さらに翌年、下の代が入ってきたら総勢100人くらいになって、2年、3年になってもまるっきりベンチ外でした。
 4年になる前かな。春のリーグに備えてメンバーが合宿に行っている間、メンバー外のほかの選手たちも帰省したりなんなりで、居残りは私を含めてほんのわずかになった。それだと満足に練習できないから、自分の練習もかねて、帝京高校の練習の手伝いに行きたい、と監督を通じて申し出たんです」

 それが、半世紀に及ぶ監督人生の始まりになるとは、このときの前田さんは思ってもいない。そのころの東京の高校野球は、日大勢の天下だった。たとえば69年の夏から72年の夏まで、一高、三高、桜丘の日大勢以外で甲子園に出場したのは70年春の堀越しかなく、それにしても日大三とのアベック出場だ。当の帝京といえば、68年夏の4強が目立つ程度で3番手、よくて2番手グループがせいぜい。曲がりなりにも、首都リーグ1部のプレーを日常から目にしている前田さんからすれば、とても甲子園を狙うレベルとは思えなかった。

[page_break:一塁ベースコーチで全日本大学野球選手権を経験。その経験が大きな財産に]

一塁ベースコーチで全日本大学野球選手権出場。その経験が大きな財産に

前田三夫(帝京前監督)①「知られざる監督就任エピソード」 | 高校野球ドットコム
前田三夫監督(帝京)*2020年東京都独自大会 東海大菅生戦より

 それでも前田さんは、弟のような高校生たちに親身になって教えた。大学の練習で培った技術を伝え、バッティング投手をこなす。自分の練習にもなるから、朝から晩まで汗にまみれていっしょに体を動かした。大学のある八王子から、当時高校のあった北区十条まで電車を乗り継ぐ移動はさながら東京横断だが、それも苦にならない。やがて春休みが終わり、大学に戻ると、前田さんのそういう熱心さが監督の耳に入る。野球の虫ともいえる熱意が通じたのか、大学4年の春、念願のベンチ入りを果たす。春季合宿に帯同しない居残り組からの抜擢は、きわめて異例だった。

「うれしかったねぇ、ホントに。とはいっても試合に出られるわけじゃないんです。役割は一塁ベースコーチなんだけど、”よしっ、ここがオレのポジションだ!”と張り切りましたよ。だから、死にものぐるいで野球を勉強したよね。相手投手のクセを探し、戦術を研究し、試合になったらチームを盛り上げて。打席も守備もないくせに、本人はキャプテンのつもりだったなぁ。
 あの経験は、のちにチームづくりするうえでの財産になりました。選手の動きというものを、フィールドの外から広い視野で見られたし、中心選手にやる気を起こさせるとチームが一変するというのも、このときに学んだね」

 前田さんが一塁ベースコーチを務めたこの71年春、帝京大は首都大学で初優勝を果たす。初出場した大学選手権でも、前田さんはコーチャースボックスに立ち、チームも1勝を記録した。

 帝京大の事務局長も務めていた野球部長から、「帝京高校の監督にならないか」と持ちかけられたのはこのころだ。いったんは、断った。大学ではレギュラーになれそうになくても、まだ現役への未練がある。プロはむろん夢物語にしても、たとえば社会人でもう一度野球に挑戦したい。だからツテをたどって、プレーを続ける道を探している最中だったのだ。ただ一方で周囲は、「前田には指導者、高校の監督が向いているんじゃないか」としきりにすすめる。当時から、ノックの腕はピカイチだった。難易度の高いキャッチャーフライも自在に打ち分け、大学の捕手陣は「前田、フライを打ってくれよ」とノックをせがんできた。

 あるいは……前田さんが高校3年だった67年の夏には、中学時代から身近な存在だった石井が、習志野のエースとして全国制覇を果たしている。高校時代はあまりに遠い存在だっただけに、自分も甲子園に行ってみたい。それには、高校の指導者というのはいいチャンスだ……。こうして翌72年、帝京高・前田三夫監督が誕生するわけだ。

(記事:楊 順行

【第2回を読む】

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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