敦賀気比vs松商学園
貫録!
3安打完封の平沼翔太(敦賀気比)
最後まで甲子園ベスト4右腕は頼もしさを見せた。
8回まで松商学園打線を2安打に抑えてきた敦賀気比のエース・平沼翔太(2年)。だが9回、先頭の代打船﨑星矢(2年)に三塁打を浴びた。「甘く入ってしまった」という平沼のもとに、キャッチャーの嘉門裕介(2年)が駆け寄る。無死三塁で点差は6という状況ではあったが、「1点もやらない」という意思をバッテリーで確認し合った。
打席は2番の百瀬雅也(2年)。4回に二塁打を放ったように、松商学園打線の中でも一際バットが振れている印象を受けるバッターだった。そんな百瀬に対し、1点もやりたくない平沼が考えたのは三振を取ること。終盤の松商学園打線の様子から「変化球を狙ってきている」と察し、決め球を直球にすることも決めた。その狙い通り、1ボール2ストライクから直球で見逃し三振。手が出せなかった百瀬は悔しそうに空を見上げた。
一死三塁となって3番高野友陽(1年)には初球を打たせ浅いセンターフライ。三塁走者の代走・宮下駿(2年)は本塁に還ることができなかった。
これで二死。こうなれば、平沼と嘉門のバッテリーは走者のことを気にした配球ではなく、打者勝負に徹することができる。4番新倉健太(2年)をレフトフライに打ち取りゲームセット。「頭を使ったピッチングができた」と3安打完封のエースは涼しい表情で挨拶の列に並んだ。
4試合全てを投げ切り、2失点で北信越チャンピオンに上りつめた平沼。だが、「調子自体はあまり良くはなかった」という。大会直前に行われた長崎国体に出場。旧チームでもエースで甲子園ベスト4になっただけに、まったく投げないというわけにはいかなかった。
「木曜日(16日)に敦賀に帰って、金曜日(17日)にすぐに北信越大会へ出発でした」と明かす長崎からの移動が電車ということもあり、長時間移動の疲労は少なからず残っていたという。同時期に近畿大会出場した大阪桐蔭が抽選で2週目登場できるように考慮されたのとは違い、北信越大会は1回戦8試合を同じ日に行う。そして春を目指す上で負けられないという強い思いもあったという。「ストレートが走らない」と感じるようにもなった。そんな中で、これまでに培った経験を基にした打者との“駆け引き”が武器になると考えた。
「バッターボックスの位置とかを見て」と投げる球質を工夫することで、勝負に勝つピッチングを見せることができた。秋になって確実にピッチングの引き出しが増えている印象を受ける。
自らタッチアウトになった平沼
勝負に徹した場面
もう一つ、平沼が『勝負に徹した』と感じられた場面がある。それは自らが先頭打者として四球で出塁した4回の攻撃でのこと。
平沼はその後の打者のバントなどで三塁まで進み、一死二、三塁という局面になった。打席の7番森茂樹(2年)はセカンドゴロを放つ。松商学園の内野陣はバックホーム隊形を敷いており、打球を処理したセカンドの高野はボールを持って三塁走者の平沼を追った。三本間での狭殺プレーになる場面。だが平沼は二塁走者の山本皓大(2年)が三塁に達するのと、打者走者の森が二塁に向かうのを確認した上で、狭殺プレーから逃げるのをやめて、自分がタッチアウトになることを選択した。セカンドの高野が平沼にタッチし、走者が入れ替わっての二、三塁と局面は変わった。
『勝負に徹した』というポイントは、平沼がアウトになったこと、4番でもあり、1回に先制タイムリー、7回に本塁打を放った強打者でもあるが、どうせ二死二、三塁という同じ状況になるのならばここで自分がアウトになって後ろの走者を戸惑わさないようにする方が、最善だと考えたと思われる。もちろん投手だけに、狭殺プレーで逃げて余計な体力を使わないようにするという意識もあったのかもしれない。
この後、残ったチャンスで8番嘉門が2点タイムリーを放ち、敦賀気比は大きな追加点を挙げることができた。
出場が決まった「明治神宮大会でも勝ちます」と試合後に力強く話した平沼。まずは秋の全国大会で、夏のベスト4を超えることを誓い、11月の神宮に乗り込む。