鹿児島実vs熊本国府
涙の140m弾
5回終了時点で2-11。
コールド負け目前の熊本国府が、終盤に驚異的な粘りを見せた。
最終的に逆転は成らなかったが最終スコアは10-11である。
この日、各紙が準備していた原稿は興南の初戦突破がほとんどだったのだが、思いもよらぬ展開に急きょ差し替えも有るかと騒ぎ始めたプレスルーム。
雨上がりに煙る藤崎台を幻想的に照らしあげたカクテル光線のもと、ゲームセットが宣告されたのは、20時8分のことだった。
予選の熊本工戦(2010年9月23日)で圧巻の2本塁打を放ち、一躍「今大会注目の打者」に浮上した国府の4番打者・稲倉大輝。
しかし、初戦の久留米商戦で2点適時打を放ち、この鹿児島実戦の4打席目までに3つの四死球をもぎ取ってはいるものの、通算では6打数1安打。予選終盤から狂いが生じていた打席での感覚が、万全の状態に戻りきれていない。
「タイミングが上手く取れないんです。トップが作れずにバットが遠回りに出てくる」
自身の状態をそう説明し、頭をかく稲倉。予選の最終盤には、ついに指定席の4番の座を追われるまで状態が悪化していたのだ。
アゴが上がってしまい、外のスライダーにまったく合わない。もともと克服していたはずの逆方向への打撃も、基本を見失ってしまったがためにインサイドアウトでバットが出せない。大会直前の広島遠征では広陵戦で通算17号目の本塁打を放つも、決して本調子といえるレベルまでは戻りきれていなかったと稲倉。
「熊本工戦の2本塁打の残像があまりにも強すぎて、無意識に打球を打ち上げようとしているのかもしれません」
鹿児島実戦の初回は無死満塁から空振りの三振。反撃を開始した7回の攻撃では、3連打で押せ押せのムードの中、ひとり蚊帳の外の二ゴロ。
もう、どうしていいのかが分からない。
そんな時にチームメイトから掛けられた「もっと力を抜いていけ」という、ありふれた激励が稲倉の心根に沁みた。
それでも仲間は、4番打者である自分を信じてくれているのだと。稲倉はそんな中で8回の第5打席へと向かったのである。
敵失、味方の3連打などで3点を返し、8-11となった場面だ。もちろんスタンドは地元・熊本国府の猛反撃に沸き立っている。狙え、稲倉。
初球。
狙い通りのストレートが甘く入って来た。
相変わらずアウトサイドを旋回する大きなスイング軌道である。「バットが遠くから出てしまいました」と、ここは素直にミスショットを認める稲倉。
鹿児島実・野田昇吾との対戦はさらに進む。
カウント2ボール1ストライクからの4球目が、稲倉の肩口に迫ってきた。再びストレートである。
このインハイの球に対して、渾身のフルスイングを挑んだ稲倉。豪快な空振りだった。
「あの空振りで、少しだけホットしたんです。迷いが吹っ切れたというか……」
理想に近いスイングができた、ということだ。あとは仕留めるだけでいい。
「野田くんがセットに入るときに、ボールを鷲掴みしているのが見えたんです」
チェンジアップだ。
稲倉のバットが強烈に、かつ綺麗に一閃した。完璧なスイングだった。
打球はホームラン打者独特の放物線を描きながら、両翼99mの外野フェンスを超えていく。
さらに、左翼席後方のクスノキを大きく越えて夜の闇に吸い込まれていった。推定飛距離140m。
スランプのきっかけとなった熊本工戦で放って以来のクスノキ越え弾だ。
これが熊本国府と稲倉にとっての最後の反撃となった。球場全体がこの驚弾に浸っている中で、試合は終了したのである。
一塁を回って二塁に達しようとした稲倉は右手を大きく上げた。涙を拭いながらも、それを悟られまいとするオーバーアクションだったのだろうか。
攻撃が終わり、守備に就く際も泣いていた。試合終了後には、誰よりも泣いていた。
「自分はなかなかチャンスで打てなかったのに、みんなは最後まで諦めずに繫いでくれた。それが凄く嬉しかった。まだまだ本調子とは言えませんが、立ち直りのきっかけにはなりました」
と言って涙を拭い立ち上がる稲倉。
その後ろ姿を、藤崎台のカクテル光線が煌々と照らす。
その名の通り、大きな輝きを放った九州大会第3号特大弾だった。
(文=加来 慶祐)