Happy End 第2回 最後の瞬間
高校球児にとって、「ゲームセットの瞬間」というのは必ず脳裏に焼きつくものだと思う。自分がいた場所、空、温度、応援席の声、仲間の顔、ボールの動き、どれもが忘れられない思い出になる。
全国各地で開かれている地区予選では、毎日、何百という高校が敗れ去っていく。
予選序盤で姿を消す高校の多くは、甲子園に出場する全国レベルから見ると実力的に遠く及ばない。選手たちがメディアや世間から注目を浴びることも、まずない。
でも、彼らには彼らなりのドラマがある。毎日、生まれては消えていっている幾多のドラマから、「ゲームセット」をテーマにした3つの物語を紹介したい。
負けた瞬間、高校野球が終わってしまう状況で、彼らは何を思いながらそこに立っていたのか。
バッターボックス【7月9日 東東京大会1回戦 都立深川13-0都立千早 】
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伊藤君(都立千早)
都立千早のキャプテン伊藤啓太くん(3年)は、右バッターボックスに立った。都立深川との1回戦、6回裏2アウト1塁の場面だ。
6回表に都立深川の打者13人の猛攻を受け、大量9点を奪われた。スコアは0-13。この回の攻撃で4点を奪わなければコールド負けになってしまう。
しかし6回裏の都立千早の攻撃もなす術なく、2アウトランナーなしの状況に追い込まれる。しかし、ここで堀越拓くん(1年)がストレートのフォアボールを選ぶ。そして4番の伊藤くんに打席が回ってきたのだ。
伊藤くんのそれまでの2打席はともにフォアボール。この打席でもボールが3球続いた。その後ストライクを2球見逃し、フルカウントに。
6球目。深川の2番手投手、木崎原光司くん(3年)のサイドハンドから放たれたストレートが外角いっぱいにのびた。見逃す。審判のジャッジに一瞬の間が空いた。伊藤くんがすがるように審判を見たとき、右手が上がった。「ストライク!ゲームセット」。思わず天を仰ぐ。開いた口からは、重いため息が漏れた。伊藤くんの高校最後の打席は見逃し三振で終わった。
試合後の彼に涙はない。チームメイトや応援にきた両親におどけてみせる。しかし、それが悔しさを隠すためのポーズであることは、時折見せる伏し目がちな表情からうかがえる。
「最後は塁に出ることを願って打席に立ちました。ただカウントが3ボールになったとき、フォアボールになるかもしれない、と気持ちが逃げてしまった」。
172センチ、85キロの身体は、部員が11人しかいなく、小粒な印象の強い千早の中で一際目立っていた。存在感はまさに4番だ。しかし実際は、小学生4年で野球を始めて以来、中学までは下位打線を打っていたという。
「うちは打線が弱い。それでどう勝つか。それにはフォアボールでもデッドボールでも出て、つなぐしかない。打つときもフライは上げないでとにかく転がす。転がせば何が起こるかわからないから。それだけは練習で徹底してきました」。
それは、下位打線にいた頃から自分がモットーとしてきた打ち方だった。3年生が2人しかいない状況で、春から急にキャプテンになった。練習不足は否めない。チームとしてまとまるには時間が足りない。ミスが多いのはしょうがない。でも、「仲間を信じてつなぐ」ことだけは伝えたかった。
結果は三振に終わったが、その前に、1年生が自分につないでくれた。伝えたかったことが伝わっていた。それが嬉しかった。結果ではない。最後の最後、3年生の自分を打席に立たせてくれたことに、伊藤くんは心底感謝している。
ピッチャーズマウンド【 7月13日 西東京大会3回戦 日大鶴ヶ丘10-3都立日野台 】
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中村君(都立日野台)
都立日野台のエース、中村彰斗くん(3年)は雨中のマウンドにいた。18.44メートル先の左バッターボックスには、西東京の第1シード、日大鶴ヶ丘の4番打者が構えている。
8回裏ノーアウト満塁だ。スコアは3-9。あと1点入ると最終回の自分たちの攻撃を待たずにコールド負けが決まってしまう。
セットポジションから171センチの身体を大きく見せるオーバーハンドで右腕を振り下ろす。初球はボール。これ以上カウントを悪くはできない。2球目、渾身のストレートを内角に投げ込んだ。
日大鶴ヶ丘の主砲、石田竜也くん(3年)のバットが一閃する。鋭い打球が1塁線を襲う。都立日野台の1塁手、佐々木郁也くん(3年)が飛びつくも…。あぁ、ボールはライト線へと抜けていった。3-10、7点差でのコールドとなった。
何千回とやってきた練習による反応なのだろう、自然とファーストカバーへ走っていた中村くんが、小走りに整列に加わる。その肩が少し震えているように見えた。
しとしとと降る雨が、雰囲気をより悲しく、重苦しくする。スタンド裏で中村くんは泣きじゃくった。出てくる言葉は「仲間」への思いばかりだ。
「みんなを信じて気持ちで勝負しました。みんなに力を貸してもらった。だから最後も、ストレートを内角に思い切り投げられた。悔いはありません」。
「僕の持ち味はストレートをコースに投げ分けて打ち取ること」。バッテリーを組むキャッチャーはもちろん、バックも信じて投げなければできない芸当だ。しかし、この日の小雨の影響か、もしくは第1シード相手の重圧か、コントロールが微妙に狂う。ストライクのつもりがボールになる。初回からフォアボールが多かった。毎回複数のランナーを背負った。しかし、ビッグイニングを許さずにすんだのは、仲間が守ってくれたからだ。
大事にしている言葉は「信じる」。試合中、ピンチになるたびに帽子の内側に目をやった。帽子のひさしに「信」とか、そういう言葉が書かれているのかと思いきや、「ベンチの仲間や、ベンチ外の部員、クラスメートから寄せ書きをしてもらった」という。見せてもらうと中央に「1」という大きな数字があり、周りに「ガンバレ」「ホームラン打つから」といった言葉が並ぶ。
中村くんは、本当に仲間を信じ、本当に助けてもらっていた。
「もう終わってしまいましたが、みんなで思い切りやれて悔いはない。いい思い出になると思います」。
悔し泣きをしているのに感謝の言葉が出る。試合には負けても、都立日野台の選手たちの絆を見せつけられた気がした。
ファーストコーチャーズボックス【 7月11日 東東京大会2回戦 都立江戸川vs立教池袋 】
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関君(立教池袋)
立教池袋の背番号13、関俊一くん(3年)は、1塁のコーチャーズボックスでラストシーンを迎えた。この試合、遂に出番はなかった。
立教池袋は都立江戸川のエース、道下大樹くん(3年)を打ち崩せず、スコアは1-3のまま最終回を迎えた。
9回裏、先頭の江成右享くん(3年)が2塁打で出塁して反撃ムードが高まるも、後続が続かない。最後、村田陸くん(3年)もセカンドゴロに。必死にファーストベースへ駆け込むもゲームセット。コーチャーの関くんは、ベース上にしゃがみこむ村田くんを優しく抱き上げた。とても冷静で、紳士的な振る舞いに見えた。
しかし試合後、泣き崩れる選手たちの中で最も大泣きしていたのが関くんだった。
この試合の会場となった明大球場は、2006年にオープンしたばかりの人工芝球場だ。東京六大学の名門・明治大学野球部のホームグラウンドで、環境は申し分ない。…のだが、近隣住民に迷惑のため鳴り物による応援は禁止、観客席もバックネット裏から両ベンチの上までしかない。青春をかけて戦う高校野球の予選会場としては、ちょっと味気ない印象を与える。
そのかわりといってはなんだが、観客たちによる音が少ないぶん、選手たちの声がよく聞こえる。そしてとにかく際立っていたのが関くんの声だ。
「っらあっ!」「っしゃー!」と意味はわからないものの、魂のこもった野太い声は外野まで届く。1塁コーチャーの時はもちろん、味方の守備の間もベンチの先頭に立って声を張り上げていた。ムードメーカーであることがはっきりわかる。ことあるごとに声が耳に入ってくるので、ついつい目が向いてしまう。
「試合には出たかったけど、そこまでの力はありませんでした。ただ負けるのは本当にイヤなので…」。試合後に話を聞かせてもらっている間も言葉は途切れ途切れに。ここまで言って声から嗚咽に変わった。42人の部員の中、レギュラーには定着できなかったが、外野の控え兼、代打要員としてベンチに入ることはできた。
もちろん試合には出たいに決まっている。でも出られないのなら、せめて自分にできることをしようと気持ちを切り替える。これは言うほど簡単なことではない。葛藤や悩みはずっとあったはずだ。そして最後の夏、自分の思いは、仲間に託した。
「最初はみんな緊張してか、オタオタしていた。でも回を追うごとに声を出してきて、9回の攻撃に臨めた。仲間の打撃を信じていたんですけど…」。ここでまた声が嗚咽に変わった。
父とキャッチボールを続けた小学校時代。立教池袋中学校に入学してから本格的に野球を始めた。その頃から先輩たちに「声がデカいな」と言われていた。そして自分の声で仲間が盛り上がるのならと、それから6年間、ずっと声を出してきた。
プレイヤーではなかったかもしれない。でも確かに仲間とともにグラウンドに立ち、戦い、泣いた。その事実は関くんにとって、これまでの野球人生をたたえるひとつの勲章といえるはずだ。
彼らからは共通して「仲間」という言葉が出てきた。
高校入学から2年半、同じ練習場所でめいっぱい練習し、何万本もノックを受け、何千キロも走ってきた。辞めたいと思うこともあっただろう。そのたびに仲間に励まされたり、仲間のがんばる背中に説得されてきたのではないだろうか。「野球はチームスポーツ」という以上に、苦楽をともにしてこそできあがった仲間意識、そこへ最後にすがるというのはある意味当然で、とてもすばらしいことだと思う。最後の夏は終わった。強くはなかったかもしれない。でも、彼らには一生忘れない思い出があり、一生つきあう仲間たちがいる。
(文=伊藤 亮)