試合レポート

和光vs朝霞

2010.07.13

2010年07月13日 大宮公園球場

和光vs朝霞

2010年夏の大会 第92回埼玉大会 2回戦

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佐野(和光)

勝利を生んだやるべきことの積み重ね

正直、驚いた。
あの子たちがここまでやるとは……と感傷的にすらなった。
それほど、埼玉和光ナインは最高のプレーをした。

まずは、朝霞の最速142キロ右腕・尾崎亮に対して。打力のない埼玉和光打線には難攻不落の相手に、熊井康二監督の指示は「高めを打て」。これを選手たちは実行した。
立ち上がり、緊張と雨で制球の定まらない尾崎から2つの四死球で2死一、二塁。ここで五番の坂本勇気は2ボール1ストライクから高めに浮いたストレートを狙い打ち。右中間へ先制の二塁打を放った。
3回には2死無走者から三番の佐野泰雄が1ストライクから高めのスライダーを左中間へ弾き返す二塁打。続く四番の柴崎俊明は初球の外角スライダーをライト前に運んだ。この安打で、二塁走者の佐野は果敢に本塁へ突入。タイミング的にはアウトだったが、ワンバウンドの返球を捕手がこぼして貴重な追加点を挙げた。
結果的に、埼玉和光が放ったのは3人しかいない3年生が1本ずつ放った3回までのこの3安打だけ。それでも、指示通りの打撃で結果を出したことで、選手たちは「これでいける」という手応えをつかんだ。

守っては、最速142キロを誇る左腕エース・佐野と柴崎のバッテリーが成長を見せた。
自慢のストレートとスライダー、スクリューを武器に2年春の市浦和戦で15奪三振、2年夏の小鹿野戦で18奪三振、3年春の慶応志木戦で17奪三振と公式戦のたびに15三振以上を奪った佐野は、大会直前の白岡との練習試合で自己最多の22奪三振。この日も9球団のスカウトが足を運ぶほどの逸材だ。だが、昨年までは精神面と体力面に不安を抱えていた。マウンドでは味方の失策にイライラした表情を見せ、攻撃では凡打で全力疾走をしない。それが投球にも表れていた。
精神面の成長や気づく力の向上なくして投手としての成長もない。そのため、昨夏以降は1日3個のゴミを拾う「1日スリーアウト」を始めた。遠征先でもサボらずに継続。拾った場所などをノートにメモした。
「ゴミを拾おうと思えば、ここにゴミがあるだろうという場所がわかる。野球でも、この打者は前の打席でここのコースが打てていないからここに投げればいいと分かるようになりました」。(佐野)
昨夏は体力不足から、振り逃げの際に捕手の悪送球で三塁まで走ったのが原因で疲れ、その後に一挙8失点する苦い経験を味わった。これには、佐野自身も情けなさを実感。直後の夏休みには、スタミナ向上のため熊井監督が自転車で並走するなか、4キロの重りをつけて毎日1時間のランニングを続けた。
また、新チームからは主将に就任。積極的に声を出してチームを引っ張る姿勢が出てきた。走塁でもヘッドスライディングを見せるなど、手抜きは消え、自ら手本となるように変わった。

その成果が試合に表れた。
初回はいきなり先頭の関谷佑輔に二塁打を打たれるが、二番打者をスリーバント失敗。盗塁で2死三塁となるが、四番の大谷優樹を投手ゴロに抑えた。実は、投手ゴロを打たせる前の球が外角低めへの素晴らしい球。佐野もベンチへ帰りかけたほどだったが、判定はボール。以前ならこの判定で崩れてもおかしくなかったが、ここで踏ん張れたのは精神面の成長があったから。4回には2死一、二塁でカウント3-2という走者自動スタートの場面があったが、ここでもしっかりとけん制を入れるなど、ピンチでも周りが見えていた。スタミナ面も問題なし。この日は7四死球を与え153球を要したが、最後まで球威は衰えなかった。ゴミ拾いの成果か、涼しい気温も佐野に味方した。

また、大きな成長を見せたのがフィールディング。
1点リードの8回には、雨で足場が悪い中、無死一塁から相手のバントを二塁で刺してみせた。
「毎日練習していたので自信が出てきました。2つを狙った方がチームが盛り上がると思って投げました」。(佐野)
夏の大会前には、佐野対策として相手がバントや盗塁を積極的に仕掛けてくることを想定。毎日バント処理練習とけん制、クイックの練習をくり返していた。準備による自信が好フィールディングを呼んだ。

佐野とともに、捕手の柴崎の活躍も光った。決勝打の打撃はもちろんだが、何より成長を見せたのが守備面。春の慶応志木戦では佐野が2安打17奪三振と好投しながら、一、三塁からの重盗だけで3失点。すべて柴崎が間に合わない二塁に投げたのが原因だった。
ところが、この日は2回に尾崎の二盗を刺すと、7回には2死二塁から大谷の捕手の悪送球狙いの三盗も刺殺。「盗塁なんて刺したことがないのに……」と熊井監督を驚かせた。
「前は投げるのを躊躇しちゃうところがあったんですけど、佐野と思い切りキャッチボールしてふっきれました。思い切って投げられました」。(柴崎)
リード面でも、これまでならストレートで押す場面で右打者の内角にスライダーを要求する場面が目立った。初回のピンチでの投手ゴロ、9回1死二塁で一番の関谷を空振り三振に打ち取ったのは、いずれもその内角スライダーだった。
「前は後ろにそらすことが多くて投げられなかったんです。でも、今は柴崎が止めてくれる。だから投げられるんです」。(佐野)
信頼して投げられるようになったのは春の大会が終わった後から。勝ちたいという思いが、柴崎を自主練習へと向かわせていた。

バッテリーが成長してのシード校相手の勝利。
だが、それだけではない。
9回にはこんな場面があった。8回裏の攻撃で1死一塁から柴崎が併殺打。相手に勢いを与えるきっかけになるうえ、走者が投手の佐野。佐野がベンチで休む間もなくマウンドに上がらなければならないこともあり、嫌なムードが漂った。だが、佐野が投球練習を終えたところで、サードの赤嶺恭平がタイムを要求。マウンドに内野陣が集まり、笑顔が見られた。嫌な予感を断ち切り、休む間を取るという意味でも最高のタイミングでのタイム。この“間”は大きかった。
「『みんなで元気出していい顔でやろう』と言いました。『最後の回だし、みんなの気持ちをひとつにして楽しみましょう』と」。(赤嶺)
この他にも、レフトの長谷川圭輔が素晴らしいカバーリングをしていた。とりあえずカバーにいっている、というのではなく、ボールと野手の延長戦上までダッシュ、しかもフェンス際でしっかり待っている。「いつでもボールさんいらっしゃい」という姿勢ができていた。

春の埼玉県大会ベスト8、Cシードの朝霞に対し、もう一度やれと言われてもできないような最高の試合。
それでも、何試合かに一回の試合を公式戦でできたのには理由がある。
それは、それぞれがやるべきことをしっかりやっていたから。
部員20人。3年生は3人しかいない。20人のうち、ケガや転校してきた関係でベンチ入りできない選手がいるため、実質は16人で戦っている状態だ。人数的、能力的にできることは限られているかもしれない。それでも、やるべきことをしっかりやれば、必ず結果は出る。

佐野を擁しながら、秋、春ともに地区初戦敗退だったチーム。
試合後、熊井監督はこう言って選手たちを称えた。
「3万点満点です」。
新チーム結成以来、初めての勝利は、佐野だけではなく、全員でつかんだものだった。

(文=田尻 賢誉


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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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