株式会社ナイスガイ・パートナーズ 木下博之 さん
第02回 株式会社ナイスガイ・パートナーズ 木下博之さん2010年03月01日
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第2回「OB訪問」は、株式会社ナイスガイ・パートナーズ・代表取締役の木下さんです。
木下さんは熊本高校から慶応大学に進学。大学では高橋由伸選手(ジャイアンツ)と同期。高橋選手が主将。木下さんは副主将として活躍。
卒業後、三井物産に入社、アメリカや中国での赴任を経て、サニーサイドアップに転職。社長直下で複数のプロジェクトを手掛け、ホワイトバンドや日本郵政、ユネスコ・プロジェクト未来遺産等の案件に従事し、2009年に株式会社ナイスガイ・パートナーズを設立。野球選手を中心としたプロアスリートのパートナーとしてマネジメント事業をされています。
高校野球をしていて良かったこと、学べたこと、そして野球を卒業した今だからこそ球児に伝えたいアドバイスを伺ってきました。
高校時代
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野球も勉強も頑張り、慶應義塾大学野球部へ
木下(以下「木」) 僕は熊本にある熊本高校出身で、母校はいわゆる「進学校」と言われるところです。そういう高校だったので、東大だったり、医者を目指すような同級生も多かったですね。高校では、当然ながら目標として甲子園行こうというのはありましたが、先輩達は皆 大学に進学されていたので、プロ野球選手になりたいというよりかは神宮に行って六大学で野球をするとうのが、僕らの中ではステータス。現実路線でした。勉強もそれなりに、そして野球も自分の中ではしっかりと頑張ったと思える悔いのない3年間でしたね。
スタッフ(以下「ス」) 両立は上手くできました?
「木」 う~ん、どうでしょう・・・。家に帰ると普段 勉強しないのは自覚してたので、とにかく「授業中、居眠りをしないこと」 これだけは頑張って守っていたと思います。
うちの高校は65分授業と授業そのものが長かったり、下校時間が季節によって決まってて、練習時間はあまり長くは取れないのです。その分、監督が部内のルールや練習内容をかなり選手の自主性に任せていてくれていました。
高校はキャプテンだったので、自分でベースボールクリニックを毎月買ってきて、それを見ながら、考えて、あの高校はこんなことやってる、うちでも真似てやってみるかと試行錯誤しながらチームメイトとともに練習をしていました。
そうやって考えさせてくれる環境だったので、頭を使った野球ができたし、同級生ともコミュニケーションを深く取れたし、結果的にすごく自分を高めてくれた場所だったのかなと。だからこそ、「勝ちたい」というより「負けたくない」という思いの方が強かったように思います。
お尻を叩いてくれるコーチもいたのですが、僕らが信頼(?!)されていたのか、技術面以外は何も言われませんでした。選手同士で厳しく言い合っていましたから。
今は高校野球を終えて17年程たっていますが、今でもみんなすごく仲が良いですよ。皆、サッパリした性格の奴が多いんですかね。(笑)
「ス」 なるほど。最後は自分達で納得する結果は出せましたか?
「木」 3年の春に県ベスト4に行くことができました。ただ最後の夏は、2回戦で鎮西高校に初回に10点とられて早々に敗退。守りがとにかく長かったですね。苦笑 やっぱり悔しくて、その年の甲子園大会はTVでは見ていません。(笑)
大学時代
「木」 慶応大学野球部は、時々ずばぬけた選手もきていますが、だいたいは進学校から受験してきた選手の集まりです。
岩国や東筑、湘南や桐生など勉強と野球を頑張って両立してきた選手が多いので、話すと共通項が多いし、2浪、3浪して入部してくる連中もいて、学ぶことが本当に凄く多かったですね。
そして、そんな連中でも明治や法政の甲子園組とも同等の戦いが出来る。東大も本当に強い。開成、麻布とか超進学校から来ても、皆 野球が好きで、負けず嫌い。この4年間で得た経験や人脈は、今 本当に役立ってます。上下関係や部内ルールはたしかに厳しかったですが、楽しい学生野球生活でした。
「ス」 プロという進路は考えましたか?
「木」 大学時代にベストナインを2度も受賞させてもらって、「あれ?もしかして・・・」と勘違いした時もありましたけどね。でも、同期の高橋由伸をみてると、「あ、彼みたいのがプロに行くんだ。俺なんか絶対無理!」と感じてましたから、卒業後はすっぱり野球は辞めようと。
高橋選手は入部当初からスター選手で、例えばファンレターなんかも合宿所へ来るんです。
田舎から出てきて甲子園とも無縁の僕にはカルチャーショックでしたね。でも彼と同じ部にいるんだ!という喜びもありましたし、ここで一旗あげようと気概もありました。基本負けず嫌いですから。(笑)
「ス」 そんな負けず嫌いの木下さんをもっても高橋選手の壁は厚かった。
「木」 いくら頑張っても、そこは勘違いもできなかったですね。(笑)
高校3年間で得たこと
「木」 ノックの本数だったり、素振りの数だったり、その日に自分で定めた目標に対しては、手を抜かずにしっかりと妥協せずにできたという自信と、仲間と一生懸命に議論ができた事実。
高校生なりに自分たちを客観的に見て、「あ~した方がよい。こうした方がよい。」と自分の頭で考える。考えて、やってみる。そして失敗もすれば、時々成功もする。そういうプロセスを経験できたのは、今にものすごく活きていますね。
勝ったこと負けたこと辛かったこと、すべてが本当に良い思い出です。
人生の転機で決断を後押しするものは
「ス」 木下さんは大学を卒業後、三井物産・サニーサイドアップを経て、現在のナイスガイ・バートナーズを設立されました。その都度、決断はどのようにされているのですか?
「木」 決断はかなり早い方ですよ。(笑)
これまでの2社で本当に色んな修羅場というか、経験をさせてもらったので、度胸もつきましたし。(笑)
昔の上司によく言われていた「First impression is Last impression(ファーストインプレッション イズ ラストインプレッション)」という言葉は大事にしています。
超訳すると、「最初に感じたことが、結局 最後に感じること」ということです。これまでの経験上で「これは!」と思ったら、その流れに乗った方が僕にとってはプラスになったことが多かったので、人の印象はもちろん、仕事上の判断や、人生における決断では頭に必ずおいてます。ただし、そこに踏み出すまでの準備は常日頃していますし、信頼できる方からも意見を聞きながら、ある程度は検証をした上で「いける!」と思ってから行動しています。
「ス」 後悔などはありますか?
「木」 後悔は無いですね。
これまで自分に起こったことはすべて今までの要素に起因すると思っていますから。挫折もありましたし、他人から色々怒られたりもしましたが、人を裏切らず、不義理にせず、一生懸命にやっていれば良いことがある。そう思っています。また経験上、そういうことを学んでいます。
そこには信念を持ってやっています。
高校生にメッセージ
「木」 誤解を恐れずに言えば、「野球馬鹿」にはなってほしくないですね。野球も一生懸命にやる、でも、勉強もそう、恋愛もそう、色んな楽しいことが世の中にはたくさんあります。野球を言い訳にせずに、目の前のことすべてに一生懸命に取り組んでほしいですね。この3年間は二度と戻ってこないですから、貴重な時間ですよね。まあ、そんなこと言ってますが、やっぱり自分も「野球馬鹿」だったし、今でも一部はそうなんですよね。苦笑
「ス」 ありがとうございました。